秘書室は一つ上の階にあった。エレベーターを上ると二人の女子社員が受付に座っている。衝立の奥に秘書課員の机が並び、一番奥に室長の席があった。窓際に応接室、会議室、社長室と続いていた。

「柳沢さん、こちらにどうぞ」

 衝立の横から秘書課長の野田が顔を出す。紺のスーツに襟元にエルメスの淡いグリーンのスカーフが覗いていた。窓際の小さな応接セットの椅子に案内されると、若い女性秘書が青磁のカップに紅茶を入れてきた。裕子には部屋全体がまぶしく感じられた。

「柳沢です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、早速ですが……」

 野田は、出勤時間や服装など事細かに説明や指示をした。晴彦の取締役としての席は特に用意されていず、裕子には空デスクが与えられた。晴彦は打ち合わせや接待、レセプションで全国のゴルフ場を飛び回っている。広報室にスケジュール担当のデスクがいて、裕子の仕事はなさそうに思えた。

「分からないことは遠慮しないで聞いてください。こちらが取締役の携帯の番号ですから、ご自分の携帯に登録しておいて下さい。ところであなたの携帯番号は?」

「すみません。持っていないのですが」

「あら、困ったわね。役職だと会社から支給されるのだけれど」

「はい、今日帰りがけに用意します」

 周りの女の子達は殆ど手にしている携帯電話を、裕子は持っていなかった。今まで会社と自宅との往復だけで特に必要としなかったからだ。服装も支給された制服を着用していたが、明日からは私服でスーツかジャケット着用になる。裕子は洋服ダンスの中の手持ちの洋服を思い浮べ、帰りがけにデパートに寄らなければと考えていた。

 

 総務に戻り机やロッカーを片付けた。数年在席したはずだが、整理するものはたいしてなかった。引き出しの中の鉛筆を削り、机を雑巾がけした。三時をまわったので慌てて給湯室に行き、お茶を入れ、部長、課長、主任とそれぞれに配りながら挨拶をした。

「明日から、このお茶が飲めなくなるのは寂しいね。今度からは缶コーヒーでも買ってくるか」

 部長が湯のみを眺めながらつぶやく。裕子の後輩たちはお茶入れの習慣がなく、好みの飲み物を各自用意していた。裕子は歓送会を辞退し、五時を過ぎると急いで会社を後にした。(つづく)