梅雨が明けるころ、閉店間近い売り場に晴彦が顔を出した。
「これから、売り場主任の加藤さんとビアホールに行くけど付き合えない?」
二年先輩の京子に声を掛ける。目は裕子の方を向き一緒にどうと微笑みかけた。
「はーい。行きます。裕子さんも大丈夫よね」
用品に白いカバーを掛けている裕子に有無を言わせず、京子は承諾してしまった。晴彦はデパートの向かいにあるビアホールの名前を告げた。
「さあ、今日は飲むぞー」
と、ネクタイを緩めて背広を片手に出て行った。
京子も、さっさとロッカールームに下りてしまう。裕子が片付けを終えて後を追うと、彼女はすでにピンク色のスーツに着替え、姿見の前で一回りしポーズを取って点検を怠らなかった。肩まで伸ばしたストレートの髪を一掴み頭頂部で留めパールや色石の付いたバレッタで飾る。化粧に取りかっていた。
「わたしなんか、ご一緒してもいいんですか?」恐る恐る京子に尋ねると、
「早くして、滅多に誘われないんだから。待たせたら失礼よ」
制服のゴルフウエアの白ポロシャツと紺のキュロットからTシャツとジーパンに着替えた裕子に、
「今日はビアホールでよかった。ホテルやレストランのお食事じゃそんな格好じゃ入れないもの。お出かけ用にスカート一枚でも用意しておいたほうがいいわよ」
コンパクトを手に赤いルージュを引きながら、京子は鏡越しに睨んだ。
東京育ちの京子は、A学院の英文科の卒業で、背は高く華やかな雰囲気があった。女性総合職の一期生で来年には本社の企画部に戻るだろうと噂され、本人は広報を希望していた。大学のゴルフ部出身でルールもよく知っており、的確なアドバイスをするので顧客からも信頼されている。新製品が出るたび売上ランキングの上位に名前を連ねるクラブとともに、ゴルフ雑誌に京子自身も取り上げられるほどであった。
東北の片田舎から上京し、特に取り得のない裕子にはまぶしい存在だ。とにかく京子の後を付いて行けば間違いない、と配属される時に人事担当に助言されていた。
ビアホールは広く、シーズン前と言うのに満席だった。真ん中の席に晴彦は陣取っており、すでに空いた大ジョッキーが並んでいた。丁度晴彦がボーイに追加注文を入れるところで、「女の子には中生、ハムとソーセージの盛り合わせ」と、言いながら二人を両側の席に招きいれた。
突然晴彦は、ジョッキー片手に立ち上がり、「ウオー・ウオー・ウオー」と、雄叫びを上げたので、裕子は何事が起きたのかと向かい側の席を見ると、京子には事の次第が分かっているらしく口の端を上げてにこりとした。ほどなくボーイがジョッキー両手に運ぶと、「これは、あちらの席のお客様から、これはこちらの席のお客様からと、ひとつひとつ説明をする。その度ごとに晴彦はジョッキーを目の上に掲げて挨拶をすると、白髪の品のいい紳士が挨拶を返した。
「これで今夜は充分飲める。君達も遠慮しないで。今日は気の好い先輩がいて助かった。今のうちだけだよ。十年先はこちらが差し入れする立場になるからね」
「山田さんと一緒じゃないと味わえない儀式ですねえ、僕もK大にはいりたかったですよ」
売り場主任の加藤は、両手でジョッキーを押し頂きゴクゴクト音を立てて飲み干した。裕子はビールが苦手だったが、釣られて口にすると苦みがなくおいしく感じた。
ゴルフ業界の動向、新製品のクラブ、社内人事と話が尽きることはなく、聞き役の裕子はひたすらジョッキーを口に運んだ。どうして就職できたのか自分でも分からないほど裕子にはゴルフの知識がなかった。
「裕子ちゃんもゴルフしましょうよ。まず練習場へ行ったら。ゴルフクラブを売るんだから、まず自分でやってみなければわからないでしょ」
「そうだ、デパートの上に練習場があるから、加藤さんに紹介してもらいなさい。僕が時々見てあげる」
京子に続いて晴彦が勧めた。
「山田課長、今度、コースに連れてってくださいね」
京子は甘えるように、晴彦にしなだれかる。
「そうだ。裕子ちゃんの初デビューには皆でいこうか。道具は、倉庫に眠っているのを格安で手に入れればいいんだし」
酔った京子を晴彦が送っていくことになり、その日はお開きとなった。加藤が送るとしきりに言うのを振り切って、裕子は終電に向かって有楽町駅まで必死に駆けた。
晴彦はその後も時折二人を飲みに誘ってくれたが、京子の話し振りから晴彦と親密な気配を感じ裕子は参加しなくなった。(つづく)