「はじめての日月神示」と言う本を読んでいました。



日月神示の原文は非常に難解なのですが、こちらの本ははじめて日月神示に触れるという人でも抵抗なく、スルリと読めるように優しい文体になっているのでとても読みやすいです。


この本の中で


富士山はいつ爆発するのか、


どこへ逃げたら助かるのかという心は、自己中心です。


どこにいても救う者は救うと伝えてあるでしょう。


悪いことを待つ気は悪魔の気です。


善い心が善いものを生むのです。


「我れ善し」の人は淘汰される


富士山はいつ爆発(噴火)するんだとか、次の大地震はいつどこで起こるんだとか、どこへ逃げれば助かるんだという人は多いはずです。


おそらく、ほとんどの人が、神様が本当にいるならそれを教えてくれと言うでしょう。


しかしそういう情報を聞いて、自分が真っ先に助かろうとするのは、「我れ善し」(自己中心)だと神示は言います。


こういう人こそが、淘汰される対象です。


神様の道を真面目に歩んでいるまことの人であれば、どこで、何をしていても必ず神が護るから心配ないというのです。


いざという時に、本当に肚ができているかどうかが試されるのです。


大神様は、悪い予言は嘘にしたいので、日夜苦労されていると言います。


私たちとしては、大難が小難になるようにと祈り、日々の生活において最善を尽くすことが務めです。


最初から大難が起こることを想定し、努力する前にまず自分が助かろうというのはもっての他です。


神にも通じる善なる心(想念)が、善い結果を自然ともたらすのです。



…と書かれていました。


そりゃそうですよね。


日々努力してない人が、自分の命が危機にさらされた時だけ「神様助けて下さい!!」なんて都合が良すぎですもんね。


噴火だろうと、地震だろうと、何が起きても怖い…と思うのはみんな一緒。


それがいつ来るのか…と、ビクビクして過ごすんじゃなくて今自分に出来ること、常に善い行いをしていきなさい。ってことですよね。


それでも死んだらどうすんだ!!って言う人もいるかも知れないけど、私はそれはそうなったで仕方ないか…と思ってます。


きっと、その時は私の努力が足りなかったのだろう…と。


なんで急にこんな記事を書いたのか…?


私にも分からないけど、伝えておきたいと思ったので書いてみました。


私達の目には見えないけど、きっと人の想いや願いの力ってすごいんだと思う。


みんながこれから起こるであろうことを、大難が小難に…と祈り願えば本当に小難になるのかもしれないですね。