自分の中に抱きしめてることを

今日はつらつらと書いてみたいと思います。

なにかの役に立つかはわからないけれど。


先日小学校の打ち合わせに同席させて

もらったときに目に止まった掲示




教室での打ち合わせ

小さい机、椅子

教室の壁一面にはいろんな掲示があったけれど、これだけ浮き出て私に向かって主張してた。


担任の方に聞くと、

クラスの小さい声の恥ずかしがり屋さんが

発表した際に

「聞こえません」と言った生徒の声を聞いて

他の生徒さん数名が

「聞こえなければ来ればいいじゃん。」と

言ったそうです。

それを担任の先生がキャッチアップして掲示したとのこと。


クラスの内容は

ハンディキャップのある方に

理解してもらうために

どんなことができるかを、

点字ブロックなどを使ったりして

考えて発表するクラスだったようだ。


すばらしく感動すると同時に

私が中学生のころクラスにいた

恥ずかしがり屋さんのことを思い出して

胸がチクチクした。

いつも小さな声で顔を真っ赤にして話をする女の子。

いじめで不登校になってしまった彼女のこと


私の小中学生のころは

ヤンキーの校内暴力時代の終焉と

入れ替わるように

いじめが深刻化してマスコミもさわいでいたときで、

クラスの誰かが常にいじめられていた。

先生ですら嫌がらせをされることもよくあった。


私も被害にあった。

中学1年の梅雨入りとともに

一個上の先輩女子たちに毎日のように

お昼休みに呼び出されるようになった。

理由は少し目立つ先輩に告白されたこと

洗濯が間に合わずレースの靴下を履いた日が

1日だけあったこと

そんなとてもとても些細なことがきっかけだったが翌年の春まで続いた。


身体的な暴力はなく

単純な言葉で責め続けられるだけだった。

せいぜい30分程度だったのだろうけど

気の遠くなるような時間だった。

私は下を向いてるかどこか一点を見て

謝るわけでもなく

泣くわけでもなく

無表情でいたと記憶してるが、

そんな私を責めることの何が楽しかったのかは未だにわからない。


学校には当然行きたくないし

死にたいと思うこともあったが、

それもめんどくさいと思うほどに私はしらけてしまっていた。

私をもっともしらけさせたのは

何度か呼び出されるところを

男性の先生や原因となった先輩も見ていたが見て見ぬ振りで目をそらしたこと。

呼び出された時間のことはあまり覚えてないけど、

その時の先生と先輩の顔が焼き付いている。

私は中学3年間恋をすることはなかった。

漫画の主人公や芸能人にすらときめくことはなかった。


学校では誰も助けてくれなかったが、

姉は私の様子がおかしいと思ったみたいで、

いじめられてるんじゃないの?

そうならば言いなさい。

学校に行くから。

と言われたことがあった。

当時高1だった姉の大人度合いと強さは今から思うと恐れ入るが、

私は姉にも言えなかった。

私はプライドが高かった。


大人になって同窓会に行ったが、

当時仲良くしていた友人は行かなかった。

私が行ったことを告げると  「楽しい想い出が少なくて、当時のことを話したいと思えない。

一体なんの話をするの?」

ときかれた。

私は新しい出会いだと思ってると伝えた。






社会人になって人材派遣会社に勤めて、

登録希望者の面談をしていたが

私を呼び出していた先輩を面談することがあった。


彼女が気がついたかどうかはわからないが

別人のように大人しく自信がなさそうな態度で、私と目を合わせることはなかった。

私は今度ははっきりと彼女の目を見て

面談をした。


誰かを貶めるとその後ろ暗い気持ちを

どこかに残してしまうんだ。

多分。


誰かものすごく悪い人間がいたわけじゃない。

急ぎすぎた競争社会は誰かを陥れなければ

安心できない気持ちを育てていたのかもしれない。


「聴こえなければ近づけばいいよ」


あの頃は悲しいけれど声をあげても拾う人は私のまわりにはいなかった。


残念ながら同じ時間を

やり直すことはできないので、

大人になった今は

思いやる気持ちを広げていくこと

誰かを貶めることに大事な魂を削らずに







なにかの形で役に立てたらいいな


声を出せなかったあのころの自分のために

これからの人たちのために


そして貶めた過去も貶められた過去も

今の日常の小さな葛藤や不安も

安らげる居場所を作っていきたい。








まだまだやりたいことがいっぱいだな!





いつも



いつでも



shantiを





読んでくれてありがとう