先祖供養ってなんのため? | 【うずめカフェ】ikukoのブログ。身口意そろえて味わう人生を。

【うずめカフェ】ikukoのブログ。身口意そろえて味わう人生を。

身口意そろえて、
味わう人生のために。

【うずめカフェ】ikukoのブログです。

身口意そろえて人生を味わい、
楽しく幸せに面白く体験したい。
そんなお手伝いをしています。
自分の体験からくる日々の知恵や目線をシェアしています。


わたしにとって先祖供養は、
応援をもらえる安心感のためにするとか
なんだか駆け引きのようにするものではなくて、


自分がもっと自分らしく生きるためにする
そういう感覚です。


先祖供養って、実はとても敷居が低いんです。


巡禮記の凡夫先達のお仕事では、


ご先祖さまたちに
自分の幸せに生きる姿を見せて
安心していただくことが供養の姿勢の基本


そうお伝えしているので、


自分の幸せってなんだろうな、を
感じ直すきっかけになったりもします。


まずは、どんな先祖であっても、
そのおかげさまで今存在していること、

そのいのちがつながってここにあること、

それを認められたら【わたし】が楽になります。


先祖を、血のつながりを、
縛りとか呪詛にしないで
『おかげさま』にしていく。
そんな生き方は、選んでいけるんです。


いてくれてありがとう。
産んでくれてありがとう。
大事につないでくれてありがとう。
そんな感謝の気持ちが持てたら、
理由なく、くつろぐように、嬉しいものです。



けれど
人によっては、先祖や家系そのものが
とても重くしんどい方もいます。


先祖、血のつながりが縛りになって
しんどい場合もたくさんある。


先祖供養はしたいけど、したくない。
その葛藤で悩む人もいます。


でも、そういう場合でも大丈夫なんです。


本当にどうでもいいという方は
巡禮記には来られませんし
きっと、このブログも読んでないと思います^ ^
供養したい気持ちがカケラでもあれば
丁寧に対応しています。


ご先祖や家系、血筋というものが
さまざまなドラマと葛藤とトラウマを
作ってきた、そんなあなたでも


それらの自分の過去の執着の氷を
あきらめて許して溶かしてしまえば、
圧倒的に生きやすくなることを
もう、本当は
肌で感じて深いところで
知っておられるからです。



まずは、そんな何でも許せる
「すごくできたいい人」に
ならなくても
先祖供養はできることを伝えています^ ^


結果を焦って、
感謝や、喜びにまで無理に
振り切らなくていいから、


淡々と、まずは
「自分はそういうケースだったんだな」と、
過去のつながりという一区切りにして
その感覚と距離を置き
ご供養してみましょう。と伝えます。



そして、一人一人の歴代ドラマではなく
大きな括りでの
過去の縁のみなさん一括に対する


シンプルな、「そうだったのだ」という認知と
シンプルな、ストーリーの関連しない
「理由のないありがとう」を、


ただ、感情なしに、見返りなしに、
期待なしに、伝える供養は


神社仏閣での儀式のように、
たとえば須磨寺の水塔婆供養
というスタイルでやっていくと、
やりやすい、という場合があります。


巡禮記の供養会は
須磨寺の僧侶のみなさまに読経していただき、

自分で塔婆を書いて自分で水をかけて
水に流して供養をするので、

自分でやる行動を伴う分、認知がしやすく
わかりやすいんですね。



さて、
わたしの感覚では
先祖供養を祈るほどに
お互いにどんどん軽くなり自由な感じに
なっています。

※お写真はジブリの公式ページよりお借りしました
ネタバレ注意ですが。。。

ジブリ映画の
「ハウルの動く城」のワンシーンで


火の精霊カルシファーが、
変な呪のかかったものを食べさせられて
めっちゃ調子狂う場面があるんですが


最後に
結んでいた魔法の契約を解いて呪詛が解け、
ハウルもカルシファーも
お互いに自由になるとき、


「おいら自由だー」って飛び回っている
カルシファーがいるんです。


でも、そばにいたいときは近くにいる、
っていうそんな自由さを得ます。


縛り合わないけど、共にいられる。
というのが、とても心地いい。
あの感覚に、似ているなと感じます。


ハウルは、恐怖から呪いを身につけて
大事なハートまで、悪魔との契約で引き換えに
差し出してしまう。


カルシファーも同じく承認欲求から
契約する役割で力を発揮するけれど
暖炉にいなくちゃいけないという縛りを
与えられてしまう。


主人公のソフィーも、自分なんて、という
諦めから、自分の未来の可能性を閉じて
おばあさんになる呪いをかけられてしまう。


映画では、
そんな、思い込みや縛りの中にいた誰もが、


自分の人生で
自分への執着や思い込み以上に
大事にしたいものを見つけたとき、
すべての契約と呪いを解いて、
自由になってゆきます。


自由と責任を、つまり
映画の主人公のセリフを借りるならば
「心って重いの!」を、
持ってる自覚を取り戻すんですね。


自分の幸せを、その自由と責任を
引き受けて生きようとするとき、
背負うような契約的な縛りや
呪詛は、内側から解け始めてゆくんです。


ご供養は、
お互い様にある記憶の冷えを
あっため合う機会です。
過去を軽くて自由なつながりにしてゆく機会。


縛られるものではなく、契約や義務でもない。
自分を生きることにもっとまじめに
遊べるようになる、
そんな感じを、大切に、


先祖供養という
カタチの豊かさから、伝えられたらいいなと
日々先達業のなかで模索しています。

うずめカフェ 巡禮記  松本育子


こちらの記事もどうぞ^ ^

●うずめカフェのメニューはこちら。

 

うずめカフェのお地蔵さま受注製作、

個人お参り先達や

数秘とカードによる個人セッション

セルフデザイン数秘講座とosho禅タロットカード講座

暮らしに使えるレイキ伝授などしています。

 

☆レイキ伝授についてはこちら

☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆

 

●私がお参り先達をチームで

させていただいている

【巡禮記】のページはこちら。

●巡禮記 ホームページ

●お参り遠足・ツアースケジュール

☆♪☆♪☆♪☆*☆♪☆♪☆♪☆♪☆