巡禮記 遠足 志明院 〜鴨川の始まりの一滴を訪ねて〜 | 【うずめカフェ】ikukoのブログ。身口意そろえて味わう人生を。

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【巡禮記  遠足 志明院 への参拝に興味のある方へ】
11月6日日曜日に開催の
現在参加者12名となっております
志明院の巡禮記遠足、
車の手配の関係であと2名さままでの
受付けとさせていただきます。

秋のこの季節の京都は大変混み合います。
交通機関や宿なども混雑しますので、
これ以上車の台数を増やすことができません。

参加を検討くださっている方は、どうぞ
お早めにお申し込みくださいますよう
お願い致します。

uzumecafe@gmail.com   松本まで。
……………………………………………………………

ここからは、私見になりますので、
巡禮記の内容やテーマを決めるものではありません。

巡禮記遠足  志明院〜はじまりの一滴に出逢う〜

お詣りに際して、超個人的な想いになりますが
記させていただきます。

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鴨川の最初の一滴をお祀りされている
この志明院での参拝では「水」に触れに
ゆく巡禮になってきます。

お不動さま、八大龍王さま、弁財天さま、
龍神さま、薬師如来さま、といった明神された
姿で祀られているので、私たちは素直に
その象徴である姿に手を合わせますが、

実際に大元の「水」というものが
龍(流れ、粒の結び、隆り、うねり、巡り)である
ということを、自分たちの細胞レベルで
身体で自覚してゆくような場所だと
わたしは感じています。

この身体に「流」れて巡る「水」は
誰が巡らせているのでしょうか。

この胸の鼓動は、この呼吸の営みは、
なにが動かしているのでしょうか。

この生命が食べて排泄するうちに
なにがこの身体という結びつきを保って
いるのでしょうか。

そして
嬉しいと感じるときの胸の拡がりは
苦しい悲しいときの胸のつまりは
何かがこのからだを流れている証しですよね。

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ここ志明院で、「水」そのもののことを
細かく身体で感じながら
それを龍として、神様の流れとして観るとき、
人は自分の身体にも他の人の身体にも
たくさんの同じ水の結びと流れがあることに
気がついてゆくように思うのです。

自分の身体、人の身体、そのものに
龍神さま
(流れ、粒の結び、隆り、うねり、巡りなど)
を観るのだと思うのです。

自我のある自分の力だけではない、
とっても素晴らしいなにか、はすでに
この身のうちにあって、
世界の原動力となり続けている、事実。

それがこの一時、からだとして心として
"私が私であるように"
水が流れて、粒が結ばれているだけのこと。

「セラピストさんにお詣りに来て欲しい」
と先達が言われた理由はここなのかなと
感じています。

龍神さま、はみんな大好きですし、歌にもある
「龍の背に乗る」という表現はとても
わかりやすく、物事をより素敵な流れに
乗って進めていく進んでいくことを表しています。

絵に描かれるあの龍の姿そのものに
何かすごい力を期待するのではなくて

自分の中に「素敵な尊い流れを自覚すること」
なのかなと感じています。

そうするほどに、不思議と身の内にも外にも
護りや協働作業意識、のようなものを
感じてゆくから不思議だなぁと思います。

ここ志明院は京都、雲ヶ畑にある
深い山の奥にひっそりと佇むお寺です。
水脈の源を祀る、水の護りの修行場です。

あれこれと考えるまでもなく、
無邪気な気持ち、素直な気持ちで
静かにお詣りしたい場所です。

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先達がいて下さるので、
五感六感の感覚を開いてお詣りしても
安心ですし、きっといいお詣りになると
思います。

足元が滑りやすいので、歩きやすく
滑りにくい靴と、動きやすい服装で
ご参加くださいませ。

長々とお付き合いくださり
ありがとうございます。

皆様とご一緒にお詣りできますことを
心より楽しみにしております。

主催 松本育子

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