![$海のブログ](https://stat.ameba.jp/user_images/20110818/18/ikuko-kaieda/c3/dd/j/t02200165_0800060011425789080.jpg?caw=800)
有志を募って「右脳の会」という集会をしています。
不定期開催
![DASH!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
情報収集・共有から、
これからの時代を生きていく
ヒントを見つけ出すことが目的です。
その中で上がった話題・問題を記録しておきます。
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日本では今、「デモ」に参加する人が増えています。
震災の前は、渋谷で右派寄りの方達の大きなデモがありました。
(報道はされませんでした
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
最近では、脱原発の動きが活発になっていますよね。
素人の乱、エネシフジャパンなどなど。
黙っているだけでは何も変わらない、と
目覚めた市民が立ち上がる・・・当然の流れかも知れません。
具体的に行動することは、一つの大きな前進です。
でも、もうひとつ、大事なことがある。
それは、「思念、想念」
![メラメラ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/037.gif)
ポジティブな「気」の力は、とても大きな力。
見えないけれど、決して無力ではないものです。
行動と思念の掛け合わせが、本当の力へと変わっていくのではないでしょうか。
「反対するパワー」は、それなりにエネルギーを奪い
活動そのものが目的と化す危険性も孕んでいます。
だったら人々を惹きつけるようなプラスのエネルギーで、共感を呼び、
社会を変える力にしよう!!
では、具体的に何をするのか?
難しいところですが、
私は、まずは「気」を一箇所に持ち寄って集まるだけでも
力の集合となり、エネルギーが増加するのではないかと考えています。
さて。
目覚めた市民が立ち上がったとはいえ、
まだまだ社会を動かすまでには至らない現実です。
何が問題なのでしょう?
「日本的」なことに根本原因があるのではないでしょうか。
「日本的」とは、時に輝かしく、時に無用の長物ともなってしまう
![カゼ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/201.gif)
それは、
常に実直で、「日常」「決まり事」があり、受け身な性質。
鏡には誰も、自分も映らない。
他者を見つけられない。
例えば、阪神大震災の時、あんな非日常の中で、「レンタルDVDを返さなきゃ」と走る。
そんな性質です。
本来のまじめな性質に加え、
忙しくすることが目的のような
戦後社会の「うねり」との組み合わせによるところも大きいのかな?
なんて考えます。
みなさんは、どう思われますでしょうか?