一部の学校が好きな大人の言い分には、ほんとうに・・・・。
学びの方法や制度に、王道とか、そういうものは、
無いというのが私の今の考えです。
いろんな方法に、どんなに欠陥があろうとも、
「学校には○○方式には無いものがある」という表現。
あたりまえです。
なんでしょうか・・・・。
「だから学校が一番」って、いいたいんでしょうか?
どこに居ようと、学びの場に、そこで完結してしまっていい
場所、完全な場所なんて、無いです。
学校に通わないいろんな子どもたちの悩みのなかには、
「学校に通っていないことでうける、少数派になってしまった、
という寂しい気持ちもある。
「学校が一番」とでもいいたげな大人の言い分には、
「学校に来ない子どもが悪い。」という、短絡的な、
弱者イジメのようなものを感じます。
どんな場所でも、学びの場になりうる。
けれども、情緒が安定しない場所では、子どもはよく学べない。
学校に行っていない子どもが安定するためには、
学校と、それをあがめている大人たちの価値観を
相対化する必要があるんです。
学校で安定している子はいいんです。
学校の影があるところでは、安らげない子がいるんです。
だから、大人がやたらと学校をゆがんだ方法で礼賛しているようでは、
いかがなんでしょうか、と思います。
そういう見方をしていないと、自分の子どもが、
心配になってしかたがないのでしょうか・・・。
そういう見方をしないと、学校が怖くてしかたが
なくなるんでしょうか・・・・。
ほかのどんな教育方法をけなしてみたところで、
学校をどんなにあがめてみたところで、
学校という制度が絶対ではないという、事実。
これは、かわらないんですよ・・・・。
学校の悪いところばかり目立ちますが、
どんなにいい先生がほかの学校にいようと、
いろんな事件は本当に起きたことだし、
そういう制度を野放しにしている以上、
将来、起きる可能性の減らないことなんです。
そこから目をそらしても、仕方のないことなんです・・・。
少数派の人たちを、多数派が、
こきおろしたところで、なにも生産されないんですよ・・・。
学校からすれば、そういう大人は、利用しやすい、理解者では
あるだろうとは思いますが・・・・・。
学校に通っていようと、いまいと、
子どもたちは頑張っています。
それは、「あたりまえ」なことなんかじゃ、ないと思います。
学校は、楽しくてあたりまえ、なんかじゃないです。
無事卒業して、あたりまえ、なんかじゃないです。
危ういバランスの上に成り立っていて、いつ
壊れてもおかしくない性質のものなんだと思います。
やすい税金で、学校が居場所になっていれば、
ありがたいことなんだということが、実感できないんでしょうね・・・。
私の実感では、校長や教頭と、
実際に会話をしたことの無い親は、学校を
好きでいられるようです。
私も、できれば、学校を好きになりたかったんです・・・・。
だって、そのほうが、ラクですよ。