離婚を申し出て。


夫(当時)は、

「離婚したくない」

と言った。


で、「離婚条件をまとめる」以前に

「離婚自体に合意する」話し合いが

ここから4ヶ月続いた…。


これはその初期の戦いの記録。

私が夫(当時)に言ったこと。



黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま


私は、

私があなたにしたほどの傾聴を

あなたに求めてはいない。


AちゃんやBちゃんのように、

旦那さんが奥さんのネガティブな気持ちをちゃんと受け止めて、

うんうんって聞いてくれて、

そうやって黒い気持ちも汚い気持ちも全部出してスッキリして、

かつ、それを出しても受け入れられる安心感も得て、

そうやって気持ちを安定させてまた過酷な育児に向かうってことが、

私にも必要だっただけ。


それができない=私を精神的に支えることはできない。


育児はまだ続くし、育児以外にもこれからも辛いことはたくさんある。

それを夫がいるのに一人で抱え込むのは、私は一人でいるよりもずっと苦しいし惨め。


また、「そのくらいなら俺できるよ!」って言われても、実績皆無だし、急にできるようになることではない=しばらく我慢が必要&今まで通り私があなたに教えていかなきゃいけない&できるようになるまで私は私のしんどいことをいったん横に置いてあなたに教えることが必要になる。


なにより、あなたに自分の弱い部分を晒すことはもう怖くてできない(傷つけられすぎた)ので、無理。

 


私はあなたに、あなたに何を言われてももう揺れないって言ったけど、誰に何を言われてももう揺れない。


友達の意見もたくさん聞いた。

自分と全く考えの違う「家事育児は妻の仕事」や「絶対離婚しない主義」の子にも聞いたし、逆に私に近い状況や考えの子にも聞いた。


でも、所詮みんな「そういうもの」って諦めてるだけで、Aちゃんのように幸せいっぱいではなかったし、私の気持ちも変わらなかった。

違う見方や気づきを入れても、「その人はその人」で「私は私」だった。

例え「そのくらい我慢すべき!」って言われても、我慢ならないものは我慢ならないし、許せないものは許せない。

例えば、「たった一度の浮気なら許すべき」って言われても、許せない人は許せないでしょ。

信じられなくなる人は信じられなくなるでしょ。

そういうこと。


 

夫は教えてもらうことが当然だと考えている。

「ここわかってないよー」「ここ違ってるよー」って言ってもらって、さらにそれを自分にわかるように教えてもらう、これを当然だと考えている様子が多々みられる。

「わからないことは教えてもらって当たり前」「教えてもらえなきゃわからなくて当たり前」、そう明言している。

確かに教える方法は模索すればあるが、それを必死で模索する私に対して、夫はいつも「教育」待ち。

教えてもらう権利を主張して、自ら学ぶということをしない。

私の頭脳や時間を、自分の教育のために使うことを当然のように要求してくる。

「教えてもらわなきゃわからないから、ずっとこのままだよ?」って言われる。

夫とともにいるためには「教える」か「このまま」かの二択らしい。

私はもうどっちも選びたくない。


傾聴にしても共感にしても

あなたは私に散々やってもらったはず。

そこから学ばなかったのはあなたの問題であって、私が「仕方ない」って諦め許すべきってものではないと思う。


私は「教える」も「このまま」も

どちらも選ばずに、一人で行く。