↑この事件の数日後の話。
具体的に何があったのかは
もう記憶がないんだけど、
『息子がぐじゃぐじゃとウザくて
5時間ほど私もがんばったが
最終的に寝かしつけでキレて
息子を叩いてしまった』が概要。
かつてのブログに書いてきたように、
私は元々は子供をバシバシ叩いていた。
が、叩くこと自体はだんだん減っていって
その代わり暴言が増えていって
その後
だんだん暴言が減っていって
叩くのもさらに減っていっていた。
昔は実家にいても親がいなければ
叩いたりしていたのに
最近はほとんどなくて、
手が出そうになっても
我慢できることの方が多い。
暴言についても
ギリギリセーフかギリギリアウトか
っていうラインにまで来ている。
そんな中久しぶりに息子に手が出た。
ひっぱたいておきながら
「ごめん、叩いてた?気づかなかった~」
って言ってグレーな感じに叩くことはあったけど、
明確に叩いたのは
本当にいつぶりだろう。
叩いた時の息子のリアクションが
かつてと違っていてびっくりした。
昔は泣いていたのに
今回は時が止まったようだった。
びっくりしてフリーズしたのかと思ったけど、
ごめんねって謝ったら
「嫌だ」って言われて、
「ゴソゴソゴソゴソして
ちっとも自分の布団に行かなかったのは
息子くんが悪かったし
シーツぐちゃぐちゃにしたのも
息子くんが悪かったけど、
叩いたのはお母さんが悪かったね。
ごめんね。」
ってさらに言ったら、
「嫌だ、もう知らない!」
そう叫ばれた。
泣きそうな声だけど泣かなくて、
時が止まったあの感じは
びっくりして止まったんじゃなくて、
心のシャッター閉めました的な
そういうやつだったのかなって思う。
泣きそうだけど泣かなかったのは
プライドと言うか
泣くもんかって気持ちや
泣くよりも文句言ってやりたいっていう気持ち、
そういうのかなって。
私は確かにごめんねって謝ったけど
嫌だって言われて
そうだよねって答えたけど
そうだよねごめんねって言ったけど
でも
『許されない』っていう「焦り」は
なかったと思う。
「ごめんね」っていうのも
本来ならそれこそ
「ごめんなさい」であるべきで
もっと真剣なものの言い方があるわけで
私の言った「ごめんね」は
許してもらえることを前提とした
「ごめんね」だった。
私の言った「ごめんね」を
声として聞いた人は
きっと誰もが
「こいつ許してもらえると思ってるな」って感じる。
赤の他人にその謝り方するか
って言われたら
きっとしない。
「あなたも悪かったけど
私も悪かった。
私が悪かったとについては謝るから
もういいでしょ。もういいよね。」
そういう本心が透けて見えたと思う。
5時間分のストレスの積み重ねだったんだけど
まあ元々の根底には親とのいざこざがあって
積み重ねで私の臨界点を突破したわけだけれども
そういうのをもとにした
「私もう無理だったの」っていう
開き直りの気持ちがきっとある。
息子に対して「いい加減にして!」
っていう気持ちだったから
叩いたことを「悪かった」と思っているけれど
『罪悪感』が希薄なんだ。
長いのでつづきます。