父のことで落ち込んでいる気がするのだけど
頭が混乱しているようで、感情に入り込むのに抵抗があるのかもしれません
内側を整理するために、ブログを書くことにします
私の父は昨年肺がんが見つかり手術をしましたが、今月脳腫瘍が見つかりました
現在、失語症と診断されています
完全に言葉が分からないわけではありませんが、頭の中で言語を構成することができず、会話が難しくなりました
思考を巡らせることも難しいようで、長くなると途中で消えてしまうみたい
これは一種の「今ここ」にいる感覚なのかもしれないな
父とのやり取りは、言語によるコミュニケーションが難しいため、ある意味テレパシーの世界で
会話する時は、リーディング力や質問力が求められます
ほんのわずかな単語や表情、エネルギーに全集中(笑)
昨日は父が「トラ、、、(?)」と言葉を始めたのですが、私は意味を理解できませんでした
「動物の『トラ』のイメージにハマって他の意味が浮かばなかったよー」と言ったら、父は笑ってた
本人も忘れてしまって正解すら分からないw
父は病気になってから、脳の回路のせいなのかよく分からないけれど、なぜか英語で話すことが増えて
日本語がままならないのに、英語が混ざると難易度が上がる
私が「自分を外国人だって思ったらいいかもよ」と言ったら、父は楽しそうに笑っていました
以前なら大変だと感じる状況でも、どこか和やかな雰囲気が流れています
私はこれまで直感に助けられてきましたが、ネガティブな予感が押し寄せる時は心地よいものではありません
今回も直感が当たったことに対して、引き寄せた自分自身に嫌な気持ちがあったけど
友人にそのことを話したら「そんな直近な予感はもう変えられない『パラレル』で、冷静に準備できるよう良心的な『お知らせ』だと思うよ〜」と言ってもらって、妙に安心したんです
この直感も、3次元的な、身体的な視点では「病気」がネガティブなものだと感じますが、もっと広い領域からみたら、父の病気が魂の願いを叶える手段だとも分かるし、一概にネガティブとも言えない
私たち家族にもそれぞれ必要な出来事が起こっており、みんなが気付きと許しを持って優しい関係を築いていて、最終的には「宇宙って、私たちってすごいんだなー」と感心するのですが、自分自身についてはまだ鈍感な部分があると感じています
今回のことで言ったら、父の病気が重いことが分かった瞬間、私は失うことへの「恐れ」を確かに感じたはずだけど
昔からの役割から抜け出せないのか、母や妹の感情の解放をサポートをしたり、手続きや調べ物に忙しくして、紛らわしているうちに、最初に感じていたことが曖昧になり、感情体験が欠落してしまった感覚がある
遠くに住んでいる妹がZOOMで「うわーん(涙)どうしよう?お父さんに会いに行きたい!」と泣きながら素直に表現する姿を見て「いいなぁ」と感じている自分を見つけて
幼い頃からよく泣く妹に、昔のような内心イライラすることはなくなり「心配だし、会いたいよね」と彼女を労る気持ちが自然に生まれてた
素直な彼女を子どもの頃は疎ましく感じていたけど、今は「羨ましい」って感じながらも優しい気持ちになれて、そんな自分にホッとしたんです
「会いにおいで、きっと何とかなるから」と妹を呼び寄せて、少し遠くなっていた関係性も温まる機会がありました
これは内外に起こった優しい変化だと思います
「羨ましい」という気持ちを素直に認められることは、自分が体験したいことや解放したいことを理解しているサインでグッジョブなんですよね!
他人に行動で示さなくても、おそらくプライベートな空間で表現できれば十分で
悲しいー、とか
怖いよー、とか
その感情を抑圧したり、見なかったりするんじゃなくて
ただ、そうなんだね、って認めてあげる
シンプルにそれだけで良かった
私はプライドが高くて、自分の弱い心を人に表現したりするのも苦手だし、自分でも受け入れるのがまだ大変なんです💦
これは母の癖で、今回母にも現れていて(笑)
それに加えて、他者の感情と融合しやすいから、自分が感じている「本当のこと」が不明瞭になりやすくて、ひとりの空間で自分のエネルギーだけをゆっくり感じるのが必要なタイプでもあります
これは父の癖
これから父がリーディングしてもらう側になるんだなって思うと色々感慨深いです
これって家族全体の浄化なんだろうな〜
あぁ、何だか力が抜けて笑けてきます
感情の受け入れに「よし!やるぞ」という気合いは必要ないですね
リラックスして、自分自身であることに安心する感覚が一番大切だと思います
今、私はようやくひとりになれて、ほっとしてぼんやりと過ごしています
あぁ、ポンコツな自分って最高
ここ半月ほど、本当に頑張ったなぁ
今
お天気が良いなぁ・・・とか
空がどこまでも青いなぁ・・・とか
そんなことを感じながら自分に還ってる
ここまでとても忙しかったので、感情が戻ってくるのゆっくりと待つことにします
おつかれさま、私