家内と仕事 | いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等

家内と仕事

 家内が教員の仕事に復職して2週間。順調なようでホッとしている。


 家内が教員の仕事を辞めたのは、我が家に双子が生まれた時だ。産休を終えて、復職することも考えたが、私は、「しばらく家にいて」と頼んだ。


 子供の情緒のためにも、教育のためにも、家庭内の安定のためにも母親が家に居た方がいいと思ったからだ。


 実際、家内の母親としての貢献は絶大だった。


 子供がまだ小さい頃から、一日じゅう母親と遊んでいて、2歳ぐらいになるとお話、読み聞かせなどで子供と過ごしていた。家内の読み聞かせは、さすがに小学校の教員だっただけあって、素晴らしいものがあった。よどみなく、感情がこもり、表現もいい。子供達は食い入るように絵本に見入っていた記憶がある。


 家には、絵本が200冊ぐらいあったが、飽きもせずに子供の求めに応じて何度でも読んであげた。図書館からもかなり借りてきていたから、世の中のアリとあらゆる絵本を読んであげたようにおもう。


 4歳ぐらいになると、子供達はよめもしないのに絵本を出してきて、ページをめくりながら、お話をはじめた。何度も読んでもらったために、内容を自然に暗記していたようだ。すべての本を完全に暗記していた。


 さらに、夜寝る時には、私が毎晩お話をしてあげていた。話の内容は、だいたい桃太郎の話に双子とドラえもんとウルトラマンとロボコンが同行する。途中、話が終わりそうになると、子供達は「ところがその時」と叫んで、新たな展開を求める。私は仕方なく、桃太郎一行がいろいろな所を漫遊する話しにする。


 たいがいは、無人島に行って、そこで獣たちと戦いながら畑を開拓し、そこで果物畑を作って、その果物でジュースを作って大もうけし、そのお金でその島を遊園地にしてさらに大もうけするというお話になる。


 子供達は、「今度はスイカの種を植える」とか、「牛と豚を飼う」とか、「桃が食べたいので桃の木を植える」とか勝手なことを言う。それであっという間に好きな果物が生えてくるのだから楽しいはずだ。


 結局、毎晩1時間以上もお話をするハメになる。


 そんなことをしていたお陰か、子供達は、ずいぶん早い時期から流暢にお話をしていたように思う。


 5歳の時に、お話をしていたら、「パパ、そこは具体的にはどんなこと?」と聞いてきた時は、「お前は大人みたいなことを言うねえ」と驚いた記憶がある。


 英語の勉強の準備を始めたのは4歳ぐらいだったが、その前に、日本語はかなりやったように思う。


 家内が仕事をやめて復職するまで14年ぐらいかかったわけだが、その間、子供達は立派に育ってくれたように思う。私立中学に子供の教育をバトンタッチしての復職、という感じか。


 そういえば、昔、「子供に本を読んであげない母親というのは、子供の前頭葉を切り取っているようなものだ」と教育学者が書いたのを読んだことがある。逆に言えば、本を読んであげるということは、本当に意味があることなんだろうなあと思う。


 家内は、教員としても相当いい教員なんだろうと思う。