楽しい草野球 | いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等

楽しい草野球

 高校時代の野球部の仲間が集まって草野球をした。久しぶりに腹をかかえて笑った。


 試合は、私たちの代と一年下の代、それに別の代から数人の助っ人がきてくれた。


 試合開始前に打撃練習とノックに3時間もかけた。怪我をしないようにだ。


 練習が終わったら昼になったので、学校の前の食堂から特別注文したカツどん弁当を食べた。高校時代によく部室で食べていたものだが、そのボリュームの多さに驚いた。



 午後1時に試合開始。以後、抱腹絶倒の2時間だった。記録の意味もこめて、ここにその経過(思い出せるものだけだが)を記す。


 我が3年生さんチームの先頭打者ははるばる静岡からやってきたKくん。外角の速球を見事にライト線にライナーを放った。不通の草野球なら3塁打となるような当たりだったが、この打球を右翼を守っていたSくんがダイビングキャッチした。


 Sくんは高校時代は筋肉質のアスリートだったのに、社会人になって体重がまし、動きが鈍くなっていた。ダイビングキャッチも飛んだ、というより、ライト線に向かってからだが傾いたという印象。どう見ても、万歳してしまったグラブに打球が収まった感じだったので、両ベンチが腹を抱えて笑った。


 この好手で流れは2年生さんチームへ。この回の我が3年生チームは三者凡退だった。


 この裏、2年生の猛打が爆発し、一挙に4点。3年生チームは一気に静かになってしまった。


 その後に起こったことを列挙したい。


 右翼オーバーの打球の中継に入ろうとしたSくんが右翼手の球をとろうとして体をひねった瞬間に足がつってしまい、その場に倒れこんだ。痛がっているうちに別の足と腹筋にも痛みが飛び火し、完全に動けなくなってしまった。


 普通のスポーツ集団ならここで同情して「大丈夫か?」の一言もありそうなものだが、われわれはこういうことに慣れている。「運動不足なのに身の程知らずの動きをした」という非難が集中し、「迷惑だから、ライトのファウルゾーンまで運んで、早く試合を再開しようぜ」という声まで出た。


 Sくんは、この大会のために、みんなのために記念の野球帽をつくり、全員の連絡係をして、さらに昼ごはんの弁当まで注文した功労者だった。「まだ一打席も立ってないのに、何のための準備だったんだ」と悔しがるSくんをファウルゾーンに捨てて、試合が再開された。


 順番は忘れたが、3年生チームの主将のAくんも笑わせてくれた。現役時代は俊足だったからは、一塁に出塁するや初球に二盗に成功。さらに、2球目には3塁に向けてスタートを切った。


 ところが、2年生チームの捕手のYくんは今も野球チームに所属してプレーしている現役選手である。鋭い身のこなしで三塁に矢のような送球をすると、二、三塁間を走っていたAくんは危機を察知して加速した。Aくんの太ももに激痛が走り、その場に座り込む。


 3年生ベンチから全員が駆けつけた。


 哀れだったのは主催者のSくんだ。両足がまだつった状態で、ベンチから飛び出そうとしたが、歩けない。その場に立ち尽くし、両手を伸ばして「大丈夫か!」と叫んだが、周囲から、「あなたは座ってて」と止められた。老人ホームのお年寄りのような扱いである。


 さらに、次の攻撃で右翼を破る長打コースの打球を打ったIくんは、一塁ベースを回ったところで足がつってしまった。倒れこんで、はいはいのような状態でなんとか一塁に戻った。


 3年生ベンチからは「臨時代走を出せ」という声が飛んだが、満身創痍で選手がいない。その時に、試合を観戦していた現役時代の部長先生(現在70歳ぐらい)の方が「俺が代走するよ」と出てきた。


 「それだけは申し訳ないので」と事態しようとしたIくんだが、立てない。「先生に代走させられない」という3年生ベンチだったが、代わりがおらず、結局、代走を頼むことになった。



 私は最初、二塁を守っていたが、途中から試合の流れを変えようと主審に代わった。このままでは、ぼろぼろの試合になってしまうと思ったのだ。


 3年生チームの先発は、制球が悪いが癖球のKくん。2年生チームの先発は、制球がよくスピードもあるが、球筋が素直なSくん。


 私は、ストライクゾーンを球半個分ほど、上下左右に広げた。そしたら、Kくんがとたんに好投を始めた。それはそうである。2年生にしてみれば、荒れ球の上級生投手に、何でもストライクにしてしまう上級生主審。2年生チームは怪しいコースにも手を出さざるをえなくなり、打撃が荒れた。思う壺である。


 結局、5対5で迎えた9回裏、1死2、3塁で2年生チームのKくんが鮮やかに三遊間を破ってサヨナラ。抱腹絶倒の熱闘に終止符を打った。


 試合が終わって気づいたのだが、助っ人できたKくんは両手にバットを杖のようにもってお年寄りのような歩き方をしていた。3年生のOくんも、腰を押さえていた。もう一人、助っ人のOくんも足を引きずっていた。両軍満身創痍だったが、終わりの挨拶では「けが人もなく無事に終わってよかった」と肉離れの主将・Aくんが話し、笑いを誘った。


 試合後の宴会は3次会まで続き。引き上げたのは午前2時。楽しい一日だった。


 翌日、足や肩、腰よりも腹筋が痛かったのがおかしかった。腹をかかえて笑いすぎたせいだろう。また、なぜか声がガラガラだった。よほどはしゃいでいたのだろう。