感謝 | いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等

感謝

 最後の仕事が終わって、22日から引っ越しの荷物整理を始めました。


 送別会等をしていただいたりして、感謝の気持ちでいっぱいです。



 こどもたちが、別れを惜しむ友達の家にお泊まりさせてもらったり、送別会を開いていただいたりしているのを見ていると、本当に胸がいっぱいになります。


 二年前、ロサンゼルスに家族で到着した時は、最初、どうなることかと思いました。


 子供を学校に通わせるために、学校に提出書類のフォームをもらいに行きましたが、学校の職員さんも先生もすべて英語です。たどたどしい英語でなんとか紙をもらってきて、書いたものを学校に持っていったのを覚えています。


 いろいろな書類や予防接種が必要で、子供が学校に行き始めるまで何週間もかかってしまいました。


 この調子で、いつになったら正常な生活ができるのだろうか、と思いました。



 子供たちも、最初は、本当に心細かったと思います。言葉がまったく通じない人ばかりのクラスに入るわけですから。


 学校に送っていっても、心配で、夫婦二人で、一時限目のチャイムがなるまで、子供たちと一緒に校庭のベンチで付き添っていたのを覚えています。あまりにつらくて、「家内と子供たちは、日本に返して、単身赴任に切り替えようか」とさえ思いました。父親の仕事の都合でそんな辛い思いをさせた子供たちには、本当に申し訳なく思いました。


 一週間たったあたりで、子供たちが「きょうは、一時限目のチャイムが鳴る30秒前に帰っていいよ」と言いました。


 二週間あたりで、「きょうは、1分前に帰ってもいいよ」と言いました。そんな風に、子供なりに少しずつでも自分の力で頑張ろうという気持ちになってくれたのが救いでした。


 三か月たったあたりで、学校が楽しくなってきたようで、一年たったら、もう何の問題もなくなりました。


 親の私たちも助けられました。


 この現地校にいる日本人の親御さんたちは、大事な情報をみんなで共有していました。私たち夫婦のようなド素人が引っ越してきても、快く仲間にいれてくれました。


 日本人の子供たちにとって必要な情報をみんなで集めて、それを蓄積し交換するという作業をしてたんですね。


 英語を無料で教えてくれるアダルトスクールでも同じでした。日本人同士が助け合って、実力を伸ばしていました。私が通っていたアダルトスクールでは、上級になるほどに、日本人の数が圧倒的に高かったですね。


 みんなで力を合わせて、共存共栄していくという日本人の底力を見たような気がしました。


 日本では日本人の不甲斐なさを恥と見るような若者が増えているように思いますが、そんなことはありません。いろいろな場所で、たくさんの日本人が頑張っているのです。


 そんな気持ちを強くし、ロサンゼルスでお世話になった方々に感謝の気持ちを伝えながら、日本に旅立ちたいと思います。



 (なんか、「あずさ2号」のイントロのマンドリンが聞こえてきそうな締めくくりですみません)