グループ送迎について | いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等

グループ送迎について

 滋賀県長浜市で怒った幼稚園児殺害事件は、悲しい出来事だった。


 娘の友達二人を死傷させた母親を擁護しきれるものではないが、これに関する新聞記事を読んでいて、腑に落ちない部分があった。「グループ送迎」と呼ばれるものだ。


 以下、新聞記事を抜粋する。

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 園児をめった刺しにする残忍な犯行の背景に一体何があったのか。滋賀県長浜市で17日、市立神照幼稚園児の武友若奈ちゃん(5)と佐野迅ちゃん(5)が登園途中に殺害された事件。殺人容疑で逮捕された2人の同級生の母親、鄭永善容疑者(34)は、日本の生活になじめず、幼稚園の送迎について悩んでいた様子だったという。

 しかし、子どもたちを守るべき集団送り迎えがあだとなった、まさかの凶行だけに、関係者にはやりきれなさが募った。

 「子どもたちを車に乗せた後、どこで殺そうか迷った」。逮捕当初、放心状態だった鄭容疑者は次第に落ち着きを取り戻し、取調室で捜査員から「中国語の通訳をつけます」と告げられると「日本語で大丈夫です」と答え、淡々と犯行の詳細を話し始めた。反省や悔恨の言葉はなく、詳しい動機も語っていない。

 神照幼稚園によると、鄭容疑者の長女と、亡くなった若奈ちゃんは同じ「すみれ組」。仲良しで、園内や近くの公園でよく一緒に遊んでおり、それぞれの自宅も行き来していた。

 ところが、鄭容疑者は母親同士ではなじめず、パート勤めをしていたスーパーも、昨年3月に辞めた。

 近くの住民らによると、鄭容疑者は中国に出張してきた会社員の夫と知り合い、来日して結婚。約2年前に現在の一戸建て住宅に引っ越してきた。しかし、知人女性に「友達ができない。幼稚園のお母さん方とうまく付き合えない」と漏らしていた。この知人は鄭容疑者が「中国なまりの日本語を気にしていた」と話す。

 長浜市の市立幼稚園では、年少組(3歳児)までは保護者がそれぞれ自分の子どもを送り迎えするが、年中組(4歳児)、年長組(5歳児)は通常、多ければ近所の園児8人を一つのグループとして保護者が交代で送り迎えする「グループ送迎」制をとっている。

 鄭容疑者は、このグループ送迎を嫌がり、長女が年中組になると、園側に「個人送迎を続けたい」と訴えた。園側は「子ども同士のコミュニケーションになるし、親同士の助け合いもできる」と説得。これで鄭容疑者もグループ送迎に参加するようになったが、長女を心配して当番でない時も長女に付き添い、グループより先に連れ帰ることもあった。

 鄭容疑者は長女の様子を気にし、「娘は仲良く遊んでいますか」「ちゃんと成長しているでしょうか」などと、度々、同園に相談していた。

 同園関係者は「ほかのお母さんより心配性だと感じていた」と話し、保護者の一人は「みんなで子どもたちを守ろうというグループ送迎が事件の背景にあるのなら、悲しい」と話した。

 若奈ちゃんは「元気で活発な子」と評判で、キックスケーターや縄跳びが得意だった。迅ちゃんは虫が好きで、父親と近くの林でクワガタやカブトムシを捕り、得意そうに披露することもあった。

 若奈ちゃんと迅ちゃんの遺体は午後10時20分過ぎ、車でそれぞれの自宅に戻った。迅ちゃん宅では、弔問に訪れた市教委幹部が「お悔やみ申し上げます」と言葉をかけると、父正和さん(33)が泣き崩れた。

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 これを読めば、日本語がまだ得意ではない中国人の母親が、周囲となじめず、悩んでいたこと。その影響で、母親は、子供も辛い思いをしているのでは、と心配していた様子がわかる。


 幼稚縁側は、「自分で送り迎えしたい」というこの母親を「説得」して、グループ送迎に参加させていた、とある。


 本当に「説得」だったのだろうか? これは「強制」に近かったのではないのか? この母親が納得していないことは、この母親が、自分が当番ではない時にグループ送迎の車に付き添ったこと、娘をグループ送迎の前に連れて帰ったことなどが書かれている。これは、納得してそうしていたのではないことを物語っている。


 母親がグループ送迎の子供に危害を加えたことから想像して、この母親の娘が、グループ送迎の子供たちにいじめられていた可能性がぬぐえない。


 問題は幼稚園の対応だ。グループ送迎などというものが、義務ではない以上、保護者にこれを強制する権利はない。


 子供の安全というのは、親にとって最も優先されるべき事項で、それを「便利だから」とか「友達を増やす機会になるから」とかいう理由で他に優先されるべきではない。


 我が家の双子が幼稚園に入った時、私たち夫婦にとって、子供たちの安全は最大の関心事だった。


 子供たちを夫婦二人で送り迎えし、幼稚園内での二人の様子をできるだけ観察した。同じクラスに二人「派遣」していたこともあり、二人の言葉を集めれば、そのクラスで何が起こっているかはほとんどすべてわかった。


 誰が誰をいじめているか。誰が暴れているか。誰が先生の言うことを聞かないか。誰が優しい子なのか。先生は問題に対してどう対処しているか。


 我が家の双子がクラスの様子をよく把握していたことは、周囲の母親もよく知っていたので、「うちの子はどうですか?」とよく聞かれたものだ。


 もちろん、我が家の双子の情報が正しいとは限らないので、「参考までに、こんなことを言っていました」と言う程度だったが、他の子供の「報告」と合わせると、かなりのことがわかった。


 暴れん坊の子がいて、他の生徒の安全が脅かされていると感じた時には、子供たちの「申し立て」を文章にして幼稚園側に持ち込み、改善を求めた。


 最終的に幼稚園側が、暴力を止められなかった場合、「暴れん坊の子が、誰かをいじめたら、我が家の双子が二人でその子を助けるように指示する。その場合、相手が暴力を振るっているならこちらも叩いても構わないと指示するが、それでも良いか」と園側に改善を求めた。


 園側が「暴力は困る。暴力を使うことを認めるわけにはいかない」というので、「園が守ってくれるなら、暴力は振るわせない。しかし、園が守ってくれないなら理不尽な暴力を一方的に受ける理由はない。自分たちの力で暴力を振るわせないようにする」と通告した。


 暴力を受けていた子供たちの側の結束によって、最終的に、暴れん坊の子はおとなしくなった。


 幼稚園側が唱える「みんな仲良く」「仕返しはダメ」などというお題目では、子供たちの心は破壊されてしまう。「善意に対して善意で返せない子供がいる」「一方的に攻撃してくる子供がいる」というのは、事実なのだ。


 話を元に戻したい。


 この母親は中国人だった。だから、日本語が不自由で孤独だったのではないか。その母親の「自分の娘を守りたい」という気持ちに私は同情する。

 

 母親や学校側の効率を重視して、グループ送迎などということをするのもいいが、「子供の安全」や、「母親が娘を心配する気持ち」はもっと大事だ。


 そして、母親同士が知り合う機会を作ることも大事だが、それには時間がかかること、立場によってはそれが負担になる人がいるということを理解することももっと大事だ。


 自分の身は自分で守らなければならない。自分の身を自分で守れない子供の身は、保護者が守らなければならない。


 子供の間に当然起こりうる暴力を放置しながら、幼稚園がお題目を唱えていれば、こういう問題は当然起こりうるのではないだろうか。