評論家嫌い3
もっと言いたくなってしまいました。パート3に突入です。
英会話の現場でも、自分では話さなくて、誰かが話すと「簡単な英語だったね」とか「あのぐらいなら自分でも話せる」という人が多いですよね。
でも、話すというのは、本当に難しいです。
ある意味、外国人と話すという訓練は、「どういう風に言えば通じるのか」というのを確認する作業だと思うのです。
中学程度で習った表現を、初めて外国人に話すときって、勇気がいりますよねえ。でも、通じると「ああ、これで通じるんだ」と思います。ところが、少し教科書レベルから外れると、とたんに「どういえばいいのか、わからない」となる。
そこで、いろいろな表現を試してみるわけです。それで、「通じた」となると、次にその表現を自信をもって使えるようになるわけです。
その繰り返しのような気がします。
英会話の勉強っていうのは、そうやって、地道に「自由度」を上げていく作業ですよね。
私は数年前、仕事でフィンランドを訪れた時、取材先と会って、「前に取材申請をしたが、その取材者のかわりに、私が来ました」と説明しなければならない場面がありました。
「その人のかわりに」という簡単な表現がどうしても出てこなくて、難渋した記憶があります。
これを読んでいる方は、わかりますか?
答えは「インステッド オブ ザ パーソン」です。
この出来事のおかげで、私はこの表現が自由に使えるようになりました。評論家的な人は、私がその表現を使っているのを聞いても、「簡単な英語」と思うはずです。中学で習う程度の英語ですから。
でも、出てこないと思いますよ。意外と。
こういう「意外と出てこない表現」で苦しむ場面が少なくなって、大概の会話を無難にこなせるようになった時こそ、確実に上達している、と感じる時ですね。
この感覚と喜び。英会話をまじめに勉強している方なら、わかってもらえるはずですよね。
評論家的になるということは、そういう失敗をして学ぶチャンスを、ミスミス失うということです。
気をつけましょう!