英語ができる遺伝子 | いわき市台風被害掲示板★南相馬、浪江町、双葉町、錦、勿来等

英語ができる遺伝子

 実は、長年「自分にはバイリンガルになる遺伝子はない」と信じていました。中学、高校、大学で勉強したのに話せるようにならなかったし、親戚にもご先祖にも、英語が話せるという人が一人もいなかったからです。

 でも、子供がバイリンガルへの道を爆走している現状をみると、何か、我が家代々の壁を自分たちの次の代が破るのかなあ、と感慨深いものがあります。 ご先祖様も喜んでくれているかなあ、と。

 私にとっても、家内にとっても、(家内の親戚にもバイリンガルはいないそうです)、バイリンガル化は、一種の夢でした。

 私が英会話教室に通い始めたのは、自分がバイリンガルになる(それは最初からあきらめていますし、今でも無理だということがわかります)ということより、子供の代にバイリンガル化を実現するという夢を実現するためでした。

 自分の英語の勉強方は、日本語を介さないこと。机の上で勉強しないこと。楽しくない勉強はしないことでした。「赤ちゃんになったつもりで、英語を英語として聞いて、それでどこまで理解できるようになるだろうか」というもので、それは、自分たちの子供を将来、英会話とともに育てるための自分自身を実験台にした実験だったのです。

 勉強をしないのですから、進歩は遅かったですね。ノバの先生に、「レッスンに出たらどうだ」とか「テキストを読んだほうがいいのでは」と薦められても、「赤ちゃんが覚えるように英語を覚えたいので、ほっといてくれ」とボイスに通っていました。 7から6に上がるのに1年もかかったのですから、その進歩の遅さがわかると思います。

 頭の中を空っぽにして、「しゃべるまえに、日本語で文章を作ってからそれを訳す」ということをやめました。思ったときに、反射的に言葉を出すようにしましたが、最初は、「語順がでたらめ」と先生にしてきされました。  

それでも、でたらめな語順でしゃべっているうちに、徐々に、脳みそから英語の語順で言葉が勝手にでてくるようになって。3年目ぐらいから、レベルアップがスムーズになりました。  僕より上手だった人を追い抜いて、レベル4、3と上がった時は信じられなかったですね。

 頭で文章を作ってから話すというやり方は、初級のうちは有効なのですが、それの癖がつくと、上級で苦労します。とっさの時にも言葉が出てこないので、実践でも苦労しますよね。  この「赤ちゃん式勉強方」で3まで行ったので、「子供がどういう風に英語を学べばいいのか」ということを実感できました。

 その「経験から得た実感」をもとに、子供に教え始めたのが、4歳の時でした。  最初は、手作り絵カードで1000単語近くを子供に教えました。カルタとリのように、ゲーム形式で教えたら、すぐに覚えましたね。

 その後は、アルク社のキューピッドというプログラムの中にある、ビデオを見せました。日本語はゼロの完全英語ビデオですが、「三匹の子豚」のような映像をみればストーリーを想像できるものなので、子供たちは、喜んでみていました。  その後、外国人の先生に家庭教師をお願いして、軌道に乗ったところで、私の仕事の関係でロサンゼルスへ。  予想以上の上達ぶりです。

 自分を実験台にした実験から13年も経ってます。「我が家にバイリンガルの遺伝子なし」という先入観を覆したというのは、我がファミリーにとってもかなり大きなことです。(親戚の子供たちも、どんどん目標をもつでしょうから)

 「やっても無駄」とか「才能無い」とか「きっと失敗する」とか思っている方も多いでしょうが、計画的にやれば、必ず成功すると私は断言します。  「自分に限界を作るな!」とはよく言いますが、我が一族の前にあった壁を破るというのは、ものすごい充実感があります。

 13年かかっても、百万円(両親と二人の子の授業料)かかっても、やってよかったなあと思います。子供たちの子孫も、どんどんバイリンガルになっていくのかなと思っています。