会話力とTOEICの関係って
会話力とトーイックって、どのぐらい関係あると思いますか?
僕は、無関係じゃないけど、それほど深い関係でもない、という気がする。
トーイックの得点が900点以上でも、話せない人って多いですよね。逆に、トーイックは700点ぐらいでも、どんどん話せる人もいる。
ノバレベルとトーイックのスコアの関係を調べた人が前にいたみたいで、連関性があったんだけど、完全な連関性じゃなかったみたい。
僕は、「外国人と話せるようになりたい」というのが目標だったので、トーイックより、ノバを重視してきました。
ノバ重視でやっていたわりには、トーイックも伸びましたね。別に勉強したわけじゃないのに、数年前に受けたら860点ぐらいだった。驚きました。
逆に、トーイック重視だったとしても、決して、「ノバでレベルチェックしたら高いレベルだった」という風にはいかなかったでしょう。
トーイックって、机上の勉強で結構スコアが伸びるから簡単な気がする。
ノバのボイスルームによく来るパターンで、「トーイックの得点が高い」というのを自慢するんだけど、会話のスピードについてこれないという人がいます。多分、頭の中でセンテンスを組み立ててるんでしょうけど、話についてこれないんですよね。
会話っていうのは、反射的に話す人もいて、誰かが話せば、会話の内容は進むわけで、そのテンポについていけなければ、話題はどんどん発展するわけで。トーイック重視型の人は、すでに発展しているのに古くなっている話題について滔滔と意見を述べたりする。そうすると、先生とできる生徒が顔を見合わせたりして・・・・。
そういう人って、「反射的に話す人」の文法的間違いを気にしているようで。でも、自分は会話についていけてない。だからストレスたまるみたいで。結局、ボイスにもレッスンにも来なくなって、会話の方はやめちゃうことが多いですね。
最終的に高い会話力を手にするのは誰か? それって、結論は明白ですよね。
トーイック重視型の人は、反射的に話す人を批判することが多いけど、先生とか外国人に聞くと、文法を気にして話さない人より、間違いだらけでも会話のペースについてくる人の方が好きみたいですね。当然、そちらの方が先生の評価を受けてしまう。
何度も言いますが、僕は、文法を軽視しているわけではないんですよ。文法は大事です。でも、そこにこだわって結果的に敗れ去っていくのはもったいないと思いませんか。
英語の場合、悪貨が良貨を駆逐することが多いけど、それなら、とりあえず「悪貨」になって、それで、自分を磨いていったほうがいいかも。そういう意味で、会話重視という選択が正しいと思いますよ。
この考え方って間違ってますかね?
僕は、無関係じゃないけど、それほど深い関係でもない、という気がする。
トーイックの得点が900点以上でも、話せない人って多いですよね。逆に、トーイックは700点ぐらいでも、どんどん話せる人もいる。
ノバレベルとトーイックのスコアの関係を調べた人が前にいたみたいで、連関性があったんだけど、完全な連関性じゃなかったみたい。
僕は、「外国人と話せるようになりたい」というのが目標だったので、トーイックより、ノバを重視してきました。
ノバ重視でやっていたわりには、トーイックも伸びましたね。別に勉強したわけじゃないのに、数年前に受けたら860点ぐらいだった。驚きました。
逆に、トーイック重視だったとしても、決して、「ノバでレベルチェックしたら高いレベルだった」という風にはいかなかったでしょう。
トーイックって、机上の勉強で結構スコアが伸びるから簡単な気がする。
ノバのボイスルームによく来るパターンで、「トーイックの得点が高い」というのを自慢するんだけど、会話のスピードについてこれないという人がいます。多分、頭の中でセンテンスを組み立ててるんでしょうけど、話についてこれないんですよね。
会話っていうのは、反射的に話す人もいて、誰かが話せば、会話の内容は進むわけで、そのテンポについていけなければ、話題はどんどん発展するわけで。トーイック重視型の人は、すでに発展しているのに古くなっている話題について滔滔と意見を述べたりする。そうすると、先生とできる生徒が顔を見合わせたりして・・・・。
そういう人って、「反射的に話す人」の文法的間違いを気にしているようで。でも、自分は会話についていけてない。だからストレスたまるみたいで。結局、ボイスにもレッスンにも来なくなって、会話の方はやめちゃうことが多いですね。
最終的に高い会話力を手にするのは誰か? それって、結論は明白ですよね。
トーイック重視型の人は、反射的に話す人を批判することが多いけど、先生とか外国人に聞くと、文法を気にして話さない人より、間違いだらけでも会話のペースについてくる人の方が好きみたいですね。当然、そちらの方が先生の評価を受けてしまう。
何度も言いますが、僕は、文法を軽視しているわけではないんですよ。文法は大事です。でも、そこにこだわって結果的に敗れ去っていくのはもったいないと思いませんか。
英語の場合、悪貨が良貨を駆逐することが多いけど、それなら、とりあえず「悪貨」になって、それで、自分を磨いていったほうがいいかも。そういう意味で、会話重視という選択が正しいと思いますよ。
この考え方って間違ってますかね?