小学生の時からの「推し」であり永遠の憧れの方のお誕生日の朝で
なんだか胸にグッと込み上げるものがあるのでブログを書いているポンコツかあちゃんです
今日はかっくんのお話ではなくプロジェクトのお話でもなく、「推し」のお話をしようと思いますw
私の推し
米米CLUBのMINAKOさん
小学生の頃 天才たけしの元気が出るTV という番組を家族で見ていた
タケシさんと松方弘樹さんが歌を歌っていた時に後ろで
めっちゃくちゃ綺麗でセクシーなコーラスのお姉様
大人になったらあんな素敵な女性になりたい・・・と見ていたら下にテロップで
米米クラブ・・・と出ていた。
えぇーーーーこんなにセクシーなお姉たんたちなのに・・・
変な名前
その翌週かな・・・なんかすぐなイメージなんだけど夜のヒットスタジオに出演していた
変な名前のセクシーなお姉さんたち🟰米米CLUB
と思っていたら・・・なんだかお化粧したいい男なのにトークが面白いカールスモーキー石井さんやら
すごいアートメイクとド派手な衣装のジェームス小野田さんやワッチャワッチャなバンドメンバーさん・・・
そこで苦笑いしながら踊っていたこないだのお姉さん達・・・
えっ!?何!?こんなに沢山いるの?
米米クラブって・・・何!?
小学生の浅い経験値の私がたどり着いた答えは・・・
・・・・・・・劇団!?
その衝撃の米米との出会いから、ながーーーく深く、沼にハマっていったのです
学生時代のお年玉やバイト代はほぼ米米に注ぎ込みw学校が終わると米米のコンサートへ来ていくコスチュームを制作する
米米中心と言ってもいい青春時代。
今振り返るといろんな気づきがある。
私は勉強ができる兄や芸術の才能豊かな姉がいて、いつも何をやっても人から褒めてもらえることが少なかった。
何をやっても本当にポンコツ・・・
でも「好き!」という原動力があるとすごく頑張れたし個性も出せた
MINAKOさんの衣装を雑誌やTVで研究して裁縫を勉強して型紙を作り
そっくりな衣装を作る達成感やできた!の経験。
それを着てコンサートに行くと沢山のファンの人に写真を撮られた握手を求められた
年上のお姉さんの友達も沢山できて学校の友達と人間関係がうまくやれなかった私も
米米ファンのお姉さんたちとつるんで遊ぶのが楽しくて仕方なかった。
米米CLUBほど夢中になれるものがこの先私にあるのかな・・・
大学受験や進路を考えた時に
私には特別な才能はない・・・
でも、「好き!」の原動力があれば自分ではびっくりするくらい努力できたし
何より「幸せ」を感じた。
そうしていつか大好きなMINAKOさんのヘアメイクを担当したい!!という夢を持ち
美容学校へ入学した。
そして卒業しはじめは美容学校に就職したのだけど、その年に米米が解散・・・。
あんなに夢中に追いかけていたバンドの解散だったのだけど正直な気持ちは
ホッとしたのだ。
ファンの方々には申し訳ないのだけど私は就職した年だったし💦
これからは米米くらいこの美容業界にどっぷり集中して夢を叶える!!と決めていたから
あの時にまだ米米が活動していたら、ヘアメイクアップアーティストにはなれなかったのかもしれない・・・というくらいに
私は米米が大好きだったし生活の中心だった。
だけどMINAKOさんのヘアメイクを担当したい!という夢は・・・
断念はしなかった。
きっといつかそんなチャンスは来る!
根拠もなく信じていた。
34歳までどっぷり美容の仕事や恋愛に夢中で米米の再結成のニュースを見たけど
そうか・・・と心がホッコリしたけどその時期は自分の目の前のことでいっぱいだった。
そして結婚して出産して息子の命を繋ぐことでいっぱいになった・・・。
とにかく息子・・・
ほとんど入院と救急車と繰り返す手術や発作に怯える日々。
しかし、息子が小学校に上がると発作が落ち着いてきて学校の付き添いも減ってきた。
そんなタイミングでたまたま街で目にしたのが
この米米のツアーポスターだった
あの頃の米米・・・!?
ポスターのこの言葉が私の胸に刺さりまくった。
ちょうど私の生活のタイミングで必要としていた「何か」と
米米の活動の接点が また再び出会えた瞬間だった。
続く↓