かなり久々のブログだ


前回の8月ブログから色々あった


1番は9月に姪を自死で亡くしたこと



あの亡くなった1週間は
ありありと今でも思い出すし
多分私にとってずっと悲しい出来事として
残るだろう


あの時の私は
彼女が自死を選んだことへの怒りで
いっぱいで
涙はでるが悲しいとか寂しいとか辛いとか
どこかに行ってしまったようにわからなく

こんな状況でも
楽しいとか嬉しいとかの気持ちはあるんだなーと不思議な感じだった


悲しみや自分達を責める
兄夫婦や私の両親の姿


私は誰のせいでもないと思ったし
今、理由をさがしても
実際彼女しかわからない

そして悲しいけど
自分で選択したのは彼女自身だ


家族はボロボロ
そりゃそうだ
そうなっても仕方ない
兄夫婦にとっても
私の両親にしても
宝物を目の前で失くしたのだ
悲しみと辛さ
責める想いでいっぱいの家族


子どもで回ってきた実家だった
ギクシャクするし
また私の両親と兄は合わないし
加えて両親は年老いている

兄夫婦と両親の関係性
父の介護
母の軽い痴呆
嫁姑
兄と両親の確執



私の目の前にいろんな事が見えてきた
もう崩れ落ちそうな家族の姿だった


私もどうにか家族を救いたいと思った
また力にならなければと…


だが立場が違うから
勿論、悲しいとか寂しいとか辛いとか
それで現せば一緒だろうが

当たり前だと思うが、実際
私の見る世界や想いと
家族の見る世界と想いが違う



勿論、家族の力にはなる
それは前提として

でも私も共に
同じように崩れてはもともこもない


私は私しか守れないと思った


だから冷たいいい方たが

私は家族と私の意識を分けて切ろうと思った


何度も言うが
多分この悲しみは
私も含め家族にとって一生のものだろう


勿論私にとっても大事な家族だ
私か力になれることはなるし
協力もする
気持ちもそうつもりだ


また時間が少し和らげるかもしれない



だけどだ
私もほぼ2年間
今年の1月まで一緒に暮らしたわけだが

ずっと共にいた
彼女の両親である兄夫婦
彼女の祖父母である両親は勝手ながら
多分、これから一生悲しみの中で責め続けて
生きるのかなと思った時


勝手に私が思ったことだけど
正直私は、そんな人生嫌だと思った


そしてすぐ浮かんだ事は
これから悦びの人生を送りたい‼︎と思ったこと


以前から自分が幸せになれば
周りも幸せになると聞いてきたし
そのつもりで今までもいたけど
全然違ってわからなかったのかもしれない


でも、姪の死によって
そんな風に悲しみに暮れる家族を
目の当たりにして
私が無理して家族に関わるより
私はより幸せになる姿を見せることで
うまく言えないけど
少しは癒されるのではないかな?と
ふっと思ったのだ

だから「私は幸せになろう」と



正直そう決めた時
私って冷たいのかな?
私だけ幸せになっていいのかな?と
家族に申し訳ない気持ちも出た



しかし、それに加えて
葬儀か終わって
1週間後にたまたま信頼する人に
その話をした時に

生まれ変わりの話になり
自死で亡くなった人は
また同じ課題を持ち
次は生き抜く事が課題になると聞いた



数年前もよく私は
生まれ変わりとか今世の課題とかに
ハマっていて?笑と言うのか
そう言った話を聞く機会が多かったので
のめり込んだし
私の課題は?とか常に考えていたが笑


私にとって「今世の課題」とか言う奴は
ただの制限になるだけで笑

そう言うのは今
どうでもよくなっていた苦笑


また死後の世界も
他人から聞いた刷り込まれた情報で
勿論生まれ変わりはあるとは思うが
今は死後は、自分が思う世界に行くような気がしている笑


あ…話がずれたけど笑


とにかく、私は同じ課題とかは?だけど
もしそうなら、姪が次は生まれ変わるときに

今、もし時々私を見ている事があるのなら


悲しみに暮れる姿より
あれ?いくちゃん見てると楽しいそう♪
次は「生きてみよっかな♪」って思ってほしいと
思ったのだ



実際どうかは?だが笑



私も勿論、人並みにいろんなことがあった笑
姪のように思春期に悩んだこともあるし
今までだって
決して生きやすかったわけでもない




だけど今、生きるとは?と問われたら
理由はないけど
生きるって楽しい!って即答できるんだよね



だからこそなんていうか
もし次、姪が生まれ変わるときに
「いくちゃん楽しそうだっけがら
次は生きてみよっかな♪」ぐらいに
思って欲しいんだよね


そんなこともあり私は
姪の死により
「悦びの人生をこれから生きること
そして、私が幸せになること」と
私はこれからの方向性を決めたのだ



にしてもだ


今までも「決める」とかと色々聞いてきた

私は凄く力強い感情の中
凄い想いの中
そう言うことを決めるもんだと思ってきた


が…しかしだ笑


それは今まで自分が思ってきた
決心すると言う感じ?とは違って笑

なんて言うが
不思議に淡々と
不思議に軽い感じだったのだが



またこれから書く機会があれば
ブログに書くが


私はその路

そう「悦びの人生を生きる」と言う路に
乗った気がするのだ



何とか言えない笑



実はまたその後、たまげる出来事もあり
まだそれも、どうなるか?だが
思った以上に落ちついてるし
かっこいい言い方をすれば
自分軸に戻せる?と言うのか
なんて言うのか…
他にも
自分の中で変わったこととか
見えたこととか
色々この3ヵ月にあるのだが笑


とにかくまたそれについては
かけたら又残そう





とにかく…
彼女が亡くなって明日で3ヵ月になる



49日を過ぎた頃


私も気持ちが追いついたのか
彼女がいない事に
悲しさや寂しさが出てきて
それで涙することも増えた




今でも自分で死を選んだことに対して
それだけのことがあったのかもしれないし
また生きづらかったのかもしれないが

やはり今でも
何故、それを選んだのかは探す気もない

だけど何も死ななくてよかったのでは?とは
亡くなったあの日からは変わりなく思うし


また亡くなったあの日から
彼女がもし
今生きていたら



あの時、見ていた世界は
彼女にとってとてつもなく
大きく感じていた世界は
実は凄く小さい世界で

もっともっと世界は広いと言うこと


だからこそ
死を選らぶのでなく
そこから逃げていい
出ていいんだと


一緒に住んでいる時
そうあの時に
何度も言えばよかったな
後悔までではないが
彼女に伝えたかったことだ






あ〜なんかやっと書けた〜〜




何度もブログに残そうと思い
何回も何回も書いてきたが
途中で止まってしまっていた



まずは9月中の出来事




ずっとずっと胸にあったこと
ずっとずっと私の胸から
出したかったことだ




まずは今日はおわりっ!





らぶ🌈❤️いく





「煙突と白鷺」






「生命の火」
姪に贈る




今ここの私です
よかったらこちらをご覧ください→Instagram