どうも、大晦日郁彦です。
昨年、沢竜二公演終わりの千葉県の倉庫作業日にスタートした43歳。
脚本演出を担当していた忍者堂の「忍者竹取物語」一座からは舞台からのおめでとうビデオレターが届きました。
髑髏城の42歳が終わり、個人出演から郁彦ワールド集団創作で始まった43歳。
忍者竹取物語は大きな出来事でした。
43歳最初の仕事は忍者竹取物語千秋楽チェック。個人の最初は飯能での女形舞踊ショー。
8月は千葉県九十九里太陽の里で大衆演劇一か月公演。
9月はそのまま今はなき新潟県燕三条の三条東映で大衆演劇。そこから飯能Wソロ公演。
10月は東京での一人芝居上演の後、竹取再演の稽古と、晴空公演「無双の果て」の稽古のはしごで関西滞在。
11月から12月にかけては、一人芝居「多田銀銅山」が東京に続き、兵庫県、長崎県、大阪府で公演。これはもうツアーと言ってもよかったのでは。
12月は恒例となった千葉県の里見八犬伝に浅草公会堂の座長大会。
髑髏以降、仕事のスケールが大きくなったことを感じた年末でした。
明けて2019年。
なんといっても大きな出来事は結婚と引っ越し。
それによって何が変わるのか見当もつきませんでしたが、一番大きく変わったことは、父、母、祖父母、弟という家族が増えたこと。責任が増えたことでした。
嫁方の父様母様にはいつも本当によくしていただき、背筋を伸ばさずにはいられません。
籍を入れた4日後には関西、そして伊勢へ出稼ぎ。
帰京して引っ越しして5日後には伊勢へ。
春までは、伊勢で太鼓持ちの一八役、そして犬吠崎太陽の里での大衆演劇日替わり公演。
昨年とは打って変わって、個の役者として日々お仕事をさせていただきました。
そんな中、目まぐるしく少し日々に追われてるなと感じたり、目先でなくもう少し大きな視野も持たなくてはと思っていた矢先、足を骨折しました。
GWの仕事は全てキャンセル。少し立ち止まる時間ができました。
ひょっとしたら必要な時間だったのかもしれません。
あの骨折、休止の期間がなかったら、今頃僕はどんな状態だったんだろう。きっと忙しくて、心を殺していたかもしれない。怪我をして迷惑をかけた方々には今後どんどん仕事をすることで返していく。僕がひとつ大人に変われた出来事だったと思います。
以降、役者の仕事を進めながら、作品創作の作業も進んでいきました。
忍者堂6/25公演「JIRAIYA」
6/1 青山郁彦殺陣工房 殺陣ショー
6/1.2 飯干未奈公演「曼珠沙華 遊女の夢~吉原炎上」平井権八と小紫
劇団ワンツーワークス「男女逆転マクベス」殺陣振付
7/10 忍者堂 ハードロックカフェ用演目
7/21 青山郁彦殺陣工房 忍者人情芝居
時に共同創作。時に振付。時に演出。
明らかに怪我以降の仕事内容はそれ以前と違います。
そして43歳最後の仕事は10/6の埼玉県高麗神社で行う殺陣体験教室の打ち合わせでした。
今年は、忍者修行体験教室として行います!!!
個人の仕事から、集団をまとめての創作と発展してきた43歳。
さぁ、来年44歳はどんな年になるのか。
44歳最初の出演は、マレーシアでのソロパフォーマンスです。
楽しみだぞ!そんな大晦日でありました。間もなく44歳カウントダウン!