今日1日、心ここに在らず
だれかになにか言葉をかけてもらえる度
涙目になり、仕事は切り替えてやらなきゃいけなくて
一生懸命働いて、なのに、ふとしたときにぐっと現実に押し戻されて、雨が降ってた
わたしは、あいりにちゃんとありがとうをつたえられたかなって
沢山笑顔で歌いきってくれた彼女に
泣き顔ばかり見せてしまった
だけど、ほんとうにたのしかったのは、幸せだったのは、嘘じゃないの
跳ねて飛んで踊って歌った。
あいりと、きゅーとと歌えたこと、本当に楽しかったよ
SHOCKが愛理の思い出の歌として始まった時、
もう、これでパーフェクトだっておもった
ここであいりが、当時の歌割りで裏に映像まで流れながら歌いきったことが、本当に嬉しかった。
こういうのが、"後悔なんてない"ってことなのかな、つんく♂さん。
あの時のことをわたしはしらない、その場にはいない、ただ、そのときの話を聞く度苦しくて、言ってはいけないことのような、ことで
新しい歌割りに、コールが慣れてるからあいりを呼び続けることに違和感を感じてしまったり
だけど、当時のあの歌割りでも、あいりは堂々と歌っていたし、顔つきも、もちろん歌唱力も、そして精神面も全部違う
そして、ファンも。
あいりが、うたってってみんなおもっていたから
あのきのうのSHOCKは愛理のものだった
わたしは、あのSHOCKを忘れません。
ブログが来ても、まだ夢の中だ
歌は聞けない
けどずっと頭で流れていて、口ずさんでしまう
ふと出た歌詞が、突き刺さって苦しくなっても
歌が嫌いになりそうなくらい、何も聞けなくても
いつか聴ける、いつか語りつげるって信じてる
考えも何も、まとまらない
昨日の記憶がちゃんとない
ずっとこころをおいてきてしまった
取り戻しに行かなきゃ
いつかは振り返ってもいいかなってあいりは言うから、いいよっていいたい
思い出と心を取り戻しに少し戻る。
あいりがくれた15年、わたしのなかの15年ではないけれど
あいりの15年がなければわたしの23年はなかった
愛理の気持ちっていつも痛いほどわかる
仕事をする上で、愛理の少しいけないところがわたしにかぶってみえていた、そしてものすごく尊敬出来るところは憧れだった
わたしはそうやってだれかの動き出そうとする強いパワーを蓄えて、活かしてきたし
だからこそ、なにもなくなってしまったようなきがしてしまって
だけど、きっとそれじゃあいりの15年が意味の無いものになる
そうやって人に勇気と夢を与え続けて惜しまずしてくれていた努力の15年を否定していることになってしまう
くれたものは、確実で
私の人生の基盤になる。
だから、わたしは愛理の青春の努力をなかったこたにしちゃダメだ
がんばってきてくれたことがわたしの力になったのなら、この先だってそうだ
この瞬間で解散に、少し納得出来てきた
きゅーとは完成したのかなって思える
あまりにも辛い時期がやっぱりあった彼女達だからこそ、完璧なことにどうしても違和感を感じてしまうのかなあって
神格化されてしまえば、そこでもう上がない
いまよりものもうすこしうえを、見てるのかな
こうしてわたしたちがもがいているあいだも
彼女達はもう少し先をみて、歩いてる
いつまでも、追いつけない
さみしがってばかりじゃだめだ
きゅーとちゃんがくれたものを、
わたしはこれからも活かしていきたい
だいすきだから、納得したい
苦しい1日でした。
だけど、最後に一つ見つかったかな
より上を目指して
いつか、ブログちゃんとかけますように
歌も歌えますように。