当院に来ていた実習生さんの話を少し。

彼女は採血をする事(学校の授業には獣医師の下で学生が採血する事があります)も、採血する犬の保定も、採血している場面を見る事さえも苦手になってしまいました。
でも、自分自身が採血される所は見れるし、開腹手術を見る事も平気。血を見るのが苦手という事ではありませんでした。
学校の授業で自分が犬の採血をする時に、その犬が嫌がって出来なかったs事から採血そのものがダメになってしまったようでした。
動物看護師で採血の場面が苦手…では、残念ながら就職は厳しいかもしれません。
そのような状況により学校からの依頼が来て、当院で実習をすることになりました。

なぜ自分は採血が苦手になってしまったのか?

彼女はその理由を自分で分かっていませんでした。ただ頭の中が『出来ない!どうしよう!?』とぐるんぐるんになってしまったんだと思います。
実習中はうちの先生が彼女に話を色々聞いていました。高校の時は何部だった?とか、実習には全く関係のない話も。
その話の中から、彼女がなぜ採血が苦手になってしまったのか…のヒントを見つける事が出来ました。
それを彼女に伝え、診察で採血の場面を見る時に深呼吸&肩の力を抜くように指示していくと、徐々にですが、平気になっていきました。最初の採血時では、見ているだけでも体に力が入っていて目に涙を浮かべる位の様子だったのが、実習最後には採血の保定も出来るようになりました。

彼女が出来なかった事は、自分を客観視する事だったと思います。
『出来ない!どうしよう!?』から思考が停止していたのではないでしょうか。
2週間弱の短い期間でしたが、その間に彼女と向き合って話をし、彼女がそこで自分という人間を客観視でき、自分の問題に対してどう向き合いどうしていくかを考えられるようになったんだと思います。

元々、とても真面目で積極的な彼女ですから、それさえ乗り越えてしまえれば素敵な動物看護師になれると思います。頑張ってほしいです。


この客観視するという事は、あらゆる事に必要だと思います。

ご自分のペットが、病気になった!どうしよう!?と慌ててしまい、病気の説明をされても飲み込めず、ただただこの子が死んじゃう!悲しい!嫌だ!で思考停止してしまう飼い主様がいます。
現状を受け入れられず、今後の治療をどうするかも決められず、いずれは来るペットの死に対して拒絶反応を見せる…。

また犬のしつけに関しても言えます。
今、犬がどういう状態なのか、飼い主である自分は犬に対してどう思いどう接しているのか、それによって犬はどういう態度・行動を見せるのか、それが良いのか悪いのか…。
犬がただ可愛いからと叱れない、逆に良い態度になったのに褒められない(犬を普段からよく見てない為)といった事があります。

1匹の野良猫が家の近くに来て可哀想だからと餌を与え始めたら、いつの間にか猫の数が増えてきました。
餌を与える量も多くなってきたけど、与えるのを止めるのはもっと可哀想だから与え続ける…。

こういったケースを客観的に見て、どう思いますでしょうか?

自分の事になると考えられないという方もいるかもしれませんが、常日頃から別の自分が俯瞰して自分を見ている感じで思ってみると良いかもしれません。
先日、あさイチに松岡修造氏が出演していて、イラっとした時に自分を実況解説してみるとおっしゃっていました。これも客観視ですよね。

自分の想いだけに囚われない。
色々な人の考えに触れてみる。
納得いくものを取り入れてみる。

「正しい」「間違っている」だけにこだわるのではなく、「合う(好き)」「合わない(嫌い)」で良いのではないでしょうか。近頃、世の中で正しさを押し付ける事が多くて、窮屈な感じがとてもします。
これは正しいから!と自分に合わない事を無理して得るものもあるでしょうが、無理をし過ぎて失ってしまうものもあると思います。

学校で習う事ってマニュアルなんですよね。
マニュアル通りにやって出来る事や出来る人もいれば、それでは出来ない事や出来ない人がいる。
均一化しないと教える側も大変ですから、一辺倒になってしまうのも仕方がない事です。
ただマニュアルを押し付けられ苦しくなる事だってあるんだから、マニュアルにない方法を考えてやってみる事が必要だし大切なんじゃないでしょうか。手間暇はかかりますよ、確かに。
でも、こういう方法もあるんだ!と頭と身体を一緒に使って得るものって確かだろうし、自信にもなります。
そして、それを他の人に教え伝える事も出来る。私はこうしてみたけど、あなたはどう?って。


加藤諦三先生という心理学の先生の言葉で「認めたくないものは何ですか。それを認めれば道は拓けます。」という言葉があります。
自分、自分の今の状況・状態を客観視する事が大切だと教えてくれています。