檜隈寺跡を訪れたあと、文武天皇陵、高松塚古墳へ向かいます。

 

檜隈寺跡の北東、文武天皇陵に向かいます。

 

『文武天皇陵』第42代天皇。檜隈安古岡上陵。飛鳥時代の終わり頃に即位した文武天皇の陵墓。天武天皇と持統天皇の孫にあたります。近年の発掘調査により、実際の文武天皇陵は、近くにある「中尾山古墳」だとする説が有力になっています。(明日香村観光サイトより)

 

北に向かい、高松塚古墳に到着。『高松塚古墳』国の特別史跡。飛鳥時代の終わり頃につくられた円墳。色鮮やかな壁画の大発見により注目をあつめ、考古学ブームの火付け役となりました。壁画は1974年、国宝に指定されています。壁画からは、東アジア世界の思想・芸術の影響を見てとれます。被葬者の特定には至っておらず、皇子説・臣下説など、複数の説があります。

 

「高松塚壁画館」を訪れました。高松塚古墳の全貌を分かりやすく展示されています。

 

西壁の女子群像の壁画(レプリカ)。

 

東壁の女子群像の壁画(レプリカ)。

 

海獣葡萄鏡(レプリカ)。

 

『中尾山古墳』飛鳥時代の終わり頃につくられた八角形墳。被葬者は火葬されていたことが、石室の大きさからわかっています。さらに、天皇のみに許された八角形であることからも、被葬者は文武天皇である可能性が高いとされています。

 

国営飛鳥歴史公園館はリニュアル工事中で休館しています。前のベンチで、お昼の弁当をいただきました。

 

高松塚古墳の北東、天武・持統天皇陵に向かいます。

 

『天武・持統天皇陵』檜隅大内陵。東西38m、南北45mの八角形墳で五段築成と考えられている。天武天皇のために築かれたが、後に702年に亡くなった持統天皇が火葬され合葬されている。1235(文暦2)年に盗掘された際の実検記である『阿不幾乃山陵記』に記された記事と、『日本書紀』『続日本紀』などの記述が一致したため、天武・持統合葬陵である可能性が高い。天武天皇は、兄である天智天皇の遺志をつぎ、中央集権国家の形成を推し進めた。壬申の乱に勝利し皇位に就いたが、686年(朱鳥1)9月、病により崩御した。持統天皇は天武天皇の皇后であり天智天皇の娘である。天武天皇とともに中央集権国家の確立に尽力した。天武帝亡き後即位し藤原京の造営を行っている。(古都飛鳥保存財団サイトより)