







矢田丘陵の麓に、磐座信仰に関わる船山神社を訪れる。
船山神社から南に、東光寺、平等寺春日神社、椿井春日神社へと向かう。
写真1-船山神社
写真2- 〃 の陽石
写真3-東光寺
写真4-平等寺春日神社
写真5- 〃 「なもで踊り」絵馬
写真6-椿井春日神社
写真7- 〃 の沿革記
写真8-椿井井戸
(5月4日撮影)
船山神社(平群町三里)
三里大字の安明寺と中之宮の氏神で、祭神は船山神と天児屋根命(春日神社の祭神)、住吉大明神。当地は安明寺の氏神である春日神社の境内地で、大正4年頃に中之宮の氏神で式内社の船山神社(旧社地は南東200mの東光寺東側)を合祀したものである。境内後方の矢田丘陵8合目付近には丸木舟状の三つの巨石があり、神が乗って地上に下ってきた船石として信仰されてきた。この三石については「神祗資料」のもみえ、近世に船石付近に祀られていた船上(船神)神社を山麓の船山神社に合祀したともいう。磐座信仰を伝える古社であり、拝殿横には立派な陽石が旧社地から移されている。(説明板より)
平等寺春日神社(平群町平等寺)
平等寺集落の東側山麓にあり、平等寺・下垣内の氏神。この二大字は本来は一つだったと考えられている。祭神は天児屋根命で、本殿は瓦葺きの覆屋の下にあり、春日造り極彩色檜皮葺き。割拝殿の両側には絵馬が数枚奉納されている。左奥には、文久元年(1861)に下垣内の氏子中より奉納の「なもで踊り」絵馬がある。雨ごいや順気祈願の満願の日に神前に奉納する踊りの様子を描いたもので、大和の各所にあったが、既に途絶えてしまい、その歌詞だけが伝わる。(安堵町では道具類のみ)踊りの一行は下垣内を出発し、東進して当社へ向かい、踊りを奉納した。「なもで」は、南無御礼が転じたもので、神に五穀豊穣を願い、そのおかげで収穫が確定した時に順気の感謝を込めて踊りが奉納されたものである。また、境内には多くの石灯篭が奉納されており、延宝5年(1677)が最も古い。(説明板より)
椿井井戸(平群町椿井)
今も清水が湧出する古井戸で、聖徳太子と平群神手将軍の逸話が伝えられている。物部守屋を征伐する際に苦戦し、神手将軍が領地のこの地に椿の杖を突き立て、戦勝を祈願された。(平群氏の祖先を祀る春日神社を参拝した時ともいわれる。)すると、一夜にして杖が芽吹いて葉が繁り、傍らから冷泉が湧き出し、汲めども尽きなかった。これは戦いへの瑞祥であると大いに喜ばれ、太子と共に飲まれた。兵士達にも振る舞ったところ士気が大いに上がり、守屋戦に大勝することが出来たという。以来、「椿井」と称して大切にされ、地名の興りとなっている。