






竜田川の西側の平群神社を訪れる。
平群神社の近く、平群中央公園南側に「西宮古墳」がある。
生駒山系麓の消渇神社と石床神社に向かう。
消渇神社は、願掛けに土団子をお供えする習わしがある。
神棚に願掛けの土団子と、願いが叶った米の団子が供えられていた。
石床神社旧社地には、巨石信仰の大きな岩が祀られている。
写真1-平群神社
写真2-西宮古墳
写真3-消渇神社
写真4- 〃 お供えの土団子
写真5- 〃 土団子をつくる屋形
写真6-石床神社
写真7- 〃 旧社地の巨石
(5月4日撮影)
「平群神社(へぐりじんじゃ)」
延喜式内社。御祭神大山祗神は山野を司る神で、平群氏の祖 武内宿祢が神功皇后と共に朝鮮へ出兵の際戦勝を祈願しこの地に祀ったと伝う。のち五穀豊穣と、武運長久、家内安全の守護神として信仰をあつめ今日に至る。延喜式神名帳に「平群神社五座(並大、月並、新嘗)とあり神宮寺としても龍華山西宮密寺があった古い社格の神社である。(説明板にて)
「西宮古墳(にしのみやこふん)」
奈良県指定史跡。この古墳は、廿日山丘陵の南端に築かれた三段築成の方形墳である。墳丘は一辺約36mの正方形で墳丘高は正面で7.2m以上あり、本来の高さは約8mと思われる。墳丘斜面は約35度の勾配で、墳丘全体と東側周溝には貼石が施されている。(中略)7世紀の中頃から後半の築造と考えられ、平群谷を代表する終末期の古墳として重要である。(奈良県教育委員会)
消渇・石床神社
消渇(しょうかち)神社は、本来は地域の産土神である正勝の神として祀られていた。室町時代に、旅の僧信海が腰の病を治してもらってから下半身の病気に御利益があるとして村人に信仰されるようになる。(中略)願掛けには境内階段下の屋形で土の団子を12個つくりこれを供えて祈願し、願いが叶うとお礼に米の団子を12個お供えする。
石床(いわどこ)神社は、大正13年(1924)に旧社地より消渇神社境内奥の現在地に合祀された。(中略)瓦葺きの覆屋内に三つの社殿があり、中央が石床の神である。また、左右の社殿には太玉命と本来の祭神である素戔嗚命を祀っており、拝殿の奥には神篭石(かみごおりいし)がおかれている。(説明板にて)