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法楽寺から南へ向い、東に折れ、「太子道」に出て少し行くと「孝霊神社」があった。
大きな黒田池の傍に小さな森に包まれて社殿がひっそり佇んでいた…

写真1-黒田の家並み
写真2-孝霊神社
写真3-拝殿
写真4- 〃の内部
写真5-神殿
写真6-神社の横は黒田池
写真7-黒田池(向こうは神社の森)
写真8-筋違道
(いずれも11月3日撮影)

『孝霊神社(廬戸神社・いおとじんじゃ)』:祭神は孝霊天皇(大日本根子彦太瓊命)。御脇立は倭迹迹日百襲姫命、彦五十狭彦命(吉備津彦命・桃太郎噺のモデル)、稚武彦命 他三神。もと法楽寺の鎮守社であったが、明治時代初期に現在地へ遷座をし、黒田村の氏神として引き継がれた。旧地より移したものに「明和七年」の紀年銘をもつ石燈篭一対がある。岡山県や香川県など日本各地に残る桃太郎の伝説地の多くは、古事記・日本書紀に記されている孝霊天皇の皇子の彦五十狭彦命と稚武彦命兄弟の活躍に由来するものである。第7代孝霊天皇の黒田廬戸宮は、田原本町宮古(「都」の意)からこの黒田のあたりを指し、この一帯は古代の地名を残した貴重な所である。孝霊神社の周辺には、弥生時代の黒田遺跡や、古墳時代の前方後円墳・黒田大塚古墳がある。この前の道は、聖徳太子が通ったとの伝承をもつ太子道である。(田原本町)

『筋違道(太子道)』:この道は、飛鳥から斑鳩へのほぼ直線の斜行道路で、藤原京から平城京にむかう下ツ道に対して、道が斜めになっているところから「筋違道」と呼ばれています。また、沿道には、聖徳太子(574~622)にまつわる話が多く残っていて、「太子道」の名でも親しまれています。田原本町宮古から川西町へ道は顕著に残り、弥生時代から中世にかけての遺跡も多く、北西約300mには、奈良県指定史跡である前方後円墳の「黒田大塚古墳」があります。(田原本ライオンズクラブ・田原本町教育委員会)