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暗越奈良街道の道標に沿って東へ歩く。
深江稲荷神社を目指す。
鳥居の横に「摂津笠縫邑跡」と「深江菅笠ゆかりの地」の石碑が建っていた。
境内では、夏祭りの「だんじり」の準備中だった。
深江稲荷神社の西に、融通大念仏宗の中興の祖、法明上人の開祖「法明寺」があった。

写真1-暗越奈良街道の道標
写真2-深江稲荷神社・鳥居
写真3-  〃   ・拝殿
写真4-  〃   ・神殿
写真5-「摂津笠縫邑跡」と「深江菅笠ゆかりの地」の石碑
写真6-だんじり
写真7-法明寺
写真8- 〃
写真9- 〃 ・鐘楼
(7月22日撮影)

『暗越奈良街道道標』:この道標は文化3年(1806)に建てられた。上部を四角にくり抜いて火袋にし、その上に笠石を載せた珍しい形で、夜間には明かりをつけて道行く人の便をはかったものと思われる。もともとこの地から東へ約20m先の暗越奈良街道と北八尾街道との分岐点に建っていたが、道路(大阪枚岡奈良線)の拡幅とともにこの地に移されその向きが変わったことから、行先の表示も正しいものではなくなっている。

『深江稲荷神社』:宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、市から史跡に指定されています。
大阪市東成区深江南3丁目16-17

『笠縫邑跡』:「大阪はなれて早や玉造、笠を買うなら深江が名所」と伊勢音頭の一節にあるように、深江は菅笠の産地として有名です。 本居宣長の「玉勝間」の中に「笠縫島は今摂津国東生郡(現東成区)の深江村といえる所なるべし」とも書かれています。昔はこの附近一帯は“笠縫島”と呼ばれ、笠を縫うことを職業とした笠縫氏の一族が、大和の笠縫邑から良質の菅(すげ)の生い繁った深江の地に集団移住したと伝えられ、その歴史は2000年程になります。
  古くは全戸が笠造りに従事し、明治初年には外国へも輸出され、歴代天皇の御即位式や、伊勢神宮の20年一度の式年遷宮に用いられる儀式用の大きな菅笠は、代々この地から調達されました。江戸時代中期頃から、伊勢参りが盛んとなり、一般道中用の菅笠が世に知られ、現在深江稲荷神社内が「笠縫邑跡」として大阪府史跡に指定されています。

『法明寺』:当寺は花園天皇文保2年(1318)法明上人の創建である。上人は弘安2年(1277)当地に生れ、高野、比叡両山に上って、真言の秘法、天台の教観を極めるも、末世の凡夫生死出離の要諦は浄土の法門、弥陀の本願による外なしと感じ是より念仏三昧に意を決し故里の当地に帰り、両親菩提の為の草庵を結ぶ、之法明寺の創りである。上人は後醍醐天皇の御代、良忍上人によって創められた融通念仏宗の大念仏寺を再興し、後、当寺に隠遁し、長瀬北陀草で荼毘に附せり。後、正保年間に至り堂宇荒廃甚しく慶安元年(1648)浄土宗の僧善誉夢白之を再建し浄土宗知恩末となり現在に至る。なお、境内左手の墓地中央附近に四層の石塔が二基あり、雁塚と伝えられている。
大阪市東成区深江南3丁目16-28

『雁塚』:法明寺境内に雁塚と呼ばれる二基の石塔があります。一基は弘長2年(1262)他の一基は延元4年(1339)と記されています。この石塚には次のような伝説があります。「その昔、清原刑部丞正次という弓の名手がある冬の日に家来をともなって狩りに出かけましたが、その日は一羽も獲物がとれません。夕方帰りがけに一群の雁に出合ったので、先頭の一羽を射ち落としました。するとどうしたことかその雁には頭がありません。その周辺を探しましたが見つからず、そのまま帰りました。次の冬に狩りに出て一羽の雌の雁を射ち落としました。すると羽の下から乾いた雄の雁頭が出てきました」。
 この話を聞いた法明上人は、雁の夫婦愛に心うたれ、その冥福を祈るために四重の石塔を建立したのが雁塚であるといわれています。