モントレーの山奥から心の叫び 11--「住み慣れた家で死にたいねん」 2257字 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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11「住み慣れた家で死にたいねん」 2257字

 

 クリスマスは楽しい日ばかりではない。

寒くて雨の多いユカヤへ、二人が連れて行かれたのはクリスマスの日だった。

忘れることができないクリスマスの日だった。

寂びしいてしょうがない。

悲しいてしょうがない。

何で選りによってクリスマスの日やネン。

日本人の私達をファミリーといって親しくしてくれた彼らと別れるのは、それこそ、胸の中から涙が出るほど辛かった。

アメリカ人のバブは私達の住んでいる暑い山の砂漠といわれるここモントレーの山の中に住んで50数年、妻のアルビラはここで生まれて育って82年。

 

 夏は摂氏47度以上になる暑い日もある乾燥した山の砂漠だけれど、長年住み慣れたところ、友達もいっぱいおる。

小さい家だけど、庭には精魂込めて世話した色とりどりのバラの花、水仙の花、まっ黄色い菊の花が咲き乱れる。

春には右も左も前も後ろも、見渡す限り広い牧場の緑の絨毯が忘れられたような小さな家を浮き立たせてくれる。

秋には裏庭の3本の大きな桑の木の目も覚めるような黄色い鮮やかな葉っぱが落ちて金色の絨毯を庭中に敷いてくれる。

 

 夕方になると、庭の水桶に入れた水を飲みに、鹿の家族がやってくる。

鶉は庭の桑の木を根城にして彼らを見つめている。

たまには黒い野豚親子が庭中に穴を掘りまくることもある。

庭にやってくる動物は全部彼らの友達だ。

動物だけじゃない、教会のメンバーの友達も来る。

隣の人も「今年のワインができた」と持ってくる。

日本人の私と嫁はんは彼等の様子を見にしょっちゅう行った。

「ここが私達の死ぬところ」と彼らは心に決めていた。

 

 「癌が体中に回って、もう長くない」と医者に宣告されたアルビラ、12月に心臓バイパスの手術をして、ペースメーカーを入れられたバブ。

身体が弱って生活できない二人を300マイル(480キロ)離れたユカヤに住む娘のティーナが1週間、たまには2週間来て面倒を見ていた。

私達も世話をしてあげたいが、子供や親戚がおる、彼らも遠慮して、思うようにいかない。

難儀やなあ。

どないしたらええのやろう。

 

 私達に英語を教え、アメリカ人の友達と同じように何の差別もなく親切に、そして大事にしてくれる彼ら、私達だけじゃない、誰にでも親切にしてくれる二人、毎日曜日、熱心に教会へ通う二人、高齢になり、大病になって、自分で自分の世話も出来ないかわいそうな二人、何時倒れるかもわからん二人。

こんないい二人に神様はどうして同時に冷たい仕打ちをするのだろうか、私は神様の気持がわからない。

ひょっとしたら、子達や周りの人に、人間にはこんな時もある、だから、日頃元気な時からこういう時のために心構えをしていなさいという教訓としか考えられない。

 

 「長年住み慣れたここが一番ええ、この住み慣れた家で死にたい、もう余分な人生じゃ、何時死んでもいい、どこへも行きとうない」。

二人はこの頃よくこんなことを言う。

「もう80年も生きてきたんや、人生80年で十分や、人に迷惑かけて、人の世話になってまで生きとうない、養老院にも入いりとうない、もう死んでもええ歳頃や、心ではそう決めて、何も思い残すことはないし、死ぬのも怖いと思わんのに、身体がゆうことききよれへん、身体が死んでくれへん、難儀なこっちゃねん」これが彼らの今の心境のようである

 

 ところが子供にとっては違う。

少しでも長生きしてもらいたい。

親の面倒は最後まで子供の自分がみるのが当たり前と、ティーナは古い日本人の考えだ。

ユカヤへ連れて行った二人を彼女はあれだけ二人が嫌がっていた養老院に入れた。

これには事情がある。

バブが手術後食欲もなく、寝たきりで、アルビラは足やお腹がパンパンに腫れたり、鼻や足の傷口から出血が多く、自分の手におえないので看護が行き届いていて、すぐ近くに病院もある養老院へ入れた。

 

 私達は二人のことが気になってしょうがない。

頻繁に電話のやり取りをした。

「この老人ホームは車椅子に乗った自分達よりも年寄りが多く、墓場に片足突っ込んだ人達ばかり、食堂で一緒に食事をする気にならない、ここにはいたくない」という愚痴の電話ばかりだった。

電話ばかりでは二人の様子がよくわからん、ついに私達はユカヤへ二人に会いに行くことた。

 

 1ヶ月ぶりに会いに行った。

奇跡が起きていた。

1ヶ月の間に二人が元通りの元気な姿を取り戻しているではないか。

信じがたいほどの元気や。

アルビラは足やお腹の腫れも退いて、ハイヒールまでも履けるようになっている。

歩く速度も速く、足の悪い私はついていけないほどだ。

大の男の私よりアルビラの食べる量が多いとティーナの旦那スティーブは目を丸くして言う。

バブも普通の食欲に戻って元気になり、車の運転までしている。

もうこれで、二人は元通り二人で住み慣れた家へ帰って生活ができる。

「食欲があったら、人間大丈夫」と、昔、喜界島の年寄りが言っていたのを思い出した。

 

 片足を墓場に突っ込んだ人達との共同生活はもう二度と嫌だと言っていた彼らの養老院を実際に見て、ぞーっとする悲しい気持ちになった。

車椅子に乗って、よだれを垂らして居眠りをしている人、うつろな目で私達を見る人、枯れ木のように痩せた人の腕は今にも折れて車椅子から落ちそうに思えた。

かわいそうで、かわいそうで、長い間その景色は私の心から消えなかった。

この景色が二人に「どうしても元気になって、住み慣れた家で死にたい」と頑張らせたに違いない。

後2週間もすると二人は我が故郷の我が家に帰れる

帰り際、私の隣のティーナの目には嬉し涙と悲し涙が二つ光っていた。