1054--同伴出勤 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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ちょうど10年前に書いたこのブログ、大阪北新地をしみじみ思いだします。

同伴出勤」

   
 「今日は華の金曜日や、月曜日から、今日まで、よう頑張った、明日は土曜日、1日働けば、明後日は日曜日、今日は思い切り飲もう」。
「土曜日は二日酔いで働いてもエエやないか、次の日は朝から寝れるがな」。
私が大阪で働いていた頃は月曜日から土曜日まで仕事で、休みは日曜日だけだった。酒好きには土曜日まで待てない。金曜日が前倒しの土曜日みたいであった。誰が名づけたのか、華の金曜日。当時の華の金曜日は祝祭日以上に楽しい日であった。

 商売していて、少し儲かっていたフリムン徳さんには、華の金曜日にはよく別嬪さんから電話があった。
「徳さん、今日、少し頼みがあんねけど、ちょっとだけ、仕事が終わってから、会うてくれへん?」優しい、なまめかしい声で、こんな電話がかかってくるのはたいてい金曜日の昼過ぎが多かった。ちょっとだけが朝までになるのはわかっているが。この声を聞くとフリムン徳さんの鼻の穴がムズムズしてくる。その次にはキメ子の香水の匂いがプーンと匂う様な気がする。華の金曜日ではなく、鼻の金曜日である。もう、着物姿のキメ子と手を組んで店へ同伴出勤している姿を思い浮かべている。

 当時、キメ子は大阪北新地の“クラブ もえ”で働いていた。彼女の 透き通るような白い肌色は目立っていた。白肌に、ぽちゃぽちゃした顔立ち、青空に真っ白いうろこ雲が浮かんでいるような明るい笑顔、徳さんはキメ子が好きだった。彼女は仕事の疲れも悩みも徳さんから吸い取ってくれるみたいだった。吸い取るという言葉は意味が深い。私は彼女の白い肌を吸い取りたいのに、彼女は目に見えない私の疲れや悩みを吸い取ってくれる。今フりムン徳さんがアメリカに住んで2週間毎の金曜日に買い物に行く隣町パソロブレスのウォールマートで、白人の白い肌に引かれるのはキメ子を思い出すためかもしれない。「徳さん、もう歳やろう、おなごはん、眺めるのもエエ加減にしいや」。

 キメ子は店に遅刻しそうになると「徳さん、同伴出勤してーよ」じゃなく、「徳さん、同伴出勤してくれへん」と鼻にかかった優しい、何かを求めているような電話がかかってきた。私は、「してーよ」じゃなく、「してくれへん」に負ける。「してくれへん」にはキメ子の遠慮が入っている、思慮深さが入っている、相手の立場を考えて、もの事を頼む気持ちが入っている。私はキメ子の「してくれへん」と言う言葉使いに惚れて、ノーと言えなかった。

 お客と同伴出勤をすると遅刻してもいいという世にもまれな規則が当時の水商売の社会にはあった。同伴出勤の夜は店の閉店まで粘って、キメ子と彼女のマンションまで「同伴退社」が多かった。でも、キメ子はほとんど、私を部屋に入れてくれなかった。「徳さん、今日は華の金曜日、ハゲが来るかもしれへん、堪忍なあ」で、酒ではなく、涙を呑まされた。 

 高級クラブのホステスさんの多くは二号さんが多かった 。そして又、二号さんを持っている男はたいてい禿げて歳がいった男が多かった。彼女たちは旦那のことをハゲと呼んでいた。特に、小さな商売人の親父さん、会社の社長さん、お医者さん、ヤクザの組長さん、お寺の坊さんも結構いた。皆さん、助ベーさん、禿が多い。特に、医者は外科医さんが多いという。なぜか? 外科医は手術が多いので血を見る日が多い。血を見る手術の日はどうしてもクラブへ行きたくなるらしい。別嬪さんと、差しつ、差されつして、手術の血で汚れた手ではない、心と目を洗い清めるのである。「世間では水商売のホステスさんは、見下げられているが、会社の偉い社長さん、偉いお医者さん、偉い坊さんのりっぱな慰め役ではないか」と言った、四国の田舎から大阪の娘のマンションを見に来たおばあちゃんの言葉が忘れられない。

 「徳さん、今日少し頼みがあんねけど、ちょっとだけ、仕事が終わってから、会うてくれへん?」
「徳さん、今日遅刻しそうなの、同伴出勤してくれへん?」
店では、「徳さん、よう、来てくれはった、うれしいわ、おおきに、おおきに!!」。同伴出勤させられて、同伴退社させられて、マンションまで送って、マンションの入り口で、「徳さん、今晩、華の金曜日、ハゲが来るかもしれへん、堪忍なあ」。

 やはり、私は根っからのフリムン(アホ)である。フリムン徳さんである。
   1-19-2009