656-トシコムトウさんの人生を読んで ② | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

ブログの説明を入力します。

(弟道雄撮影)

彼女は今度はアメリカでも一番大きいグリーティングの会社に

変わろうと思い、電話をした、作品を送ると確実性が薄いと思い、

アポイトメンとを取り、カリフォーニアからミズリー州まで

飛行機で飛び、自分の作品を見せて採用された。

ここも徳さんが、アメリカのビザを取るための手紙を

大阪から出さず、わざわざアメリカの領事館のある

神戸の郵便本局まで行って、さらに速達で出したのと似ているようだ。

 

不景気でこの会社が閉鎖、今度はディズニーの副社長の

家の犬と猫に餌をやる仕事を見つける。

食事は冷蔵庫の中のを適当に食べてよいとのこと。

彼女が食べたものが、副社長婦人が旦那さんのために

特注した最高級のものばかり。

たちまち婦人の逆鱗に触れ、副社長の書斎に呼ばれた。

ここからがムトーさんの催眠術にかかったように会う人、

会う人が彼女に有名な会社、有名な仕事、有名な人を世話して行く。

信じられんばかりの超有名人、ディズニーランドなど

超有名会社の仕事を任せられる。

助け神がいつも彼女と行動を供にしているように思えてならない。

フリムン徳さんも御客さんから家一軒、もらったり、したことがあるが、

ごく普通の人間ばかりだ。

ムトーさんの歩いてきた道は高級社会ばかりだ。

 

自分の自伝「人生は片道切符」をたったの29日で

書き上げたらベストセラーになり、映画化までされる。

やることなすことうまいこといきよる。

なんとついている人。だが、やはりつかないこともあった。

40歳から50歳まで10年間直感を全部失い廃人同様の生活を送る。

もうこれで終わりと思いきや、そうではない、

これからまた素晴らしい活躍をする。

55歳になって、家を一軒売って、当時アメリカで

タンゴのトップダンサーであったフェリックス チェベッツ氏に

入門してアルゼンチンのタンゴを始めた。

猛練習をして四ヶ月目にはスープリームアワードと

言う特別最高賞も受賞。

それだけではない、四つの大会で毎回受賞している。

彼女には歳は関係ないのだ。

だから、名前もトシコ ムトー?めちゃくちゃの努力家や。

 

今度は独学で、四柱推命を勉強して、

財産なんて天国へ持っていけないからとインド人との

愛を取り破産する。

私もまねしてみたい。

でもそこまでの度胸をつけるにはよっぽど、覚悟しないと、

悟らないとできないように思う。

ムトーさんの人生、私はウヤフジがさせているようでならない。

 

育ち盛りの子供四人を抱えて、針と糸の行商を始め、

後に九州一の京染め呉服店を築いた、

祖母がダブって見えてくるみたいや。

ムトーさん、元気をくれて、おおきに、おおきに。

フリムン徳さん。