356-似ていた、ウズラと新米大工の徳さん | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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106  「似ていた、ウズラと新米大工の徳さん」  
 
 「徳さん、私、働きたいから、どこかに仕事を見つけて

くださいな」と、真剣な顔で言ったのは腰の曲がった

91歳のおばあちゃんだった。

91歳の口から出た想像も出来ない言葉だった。

でも、フリムン徳さんは、このおばあちゃんの

「仕事がほしい」という頼みにすぐに納得がいった。



 フリムン徳さんが南米パラグアイに見切りをつけ、

ロスアンジェルスへ来て、見よう見真似で大工を

始めて間もない頃のこと。

今67歳のフリムン徳さんが34歳の頭の毛もふさふさだった頃。

ロスアンジェルスの日本語新聞『羅府新報』

に出した大工仕事の広告を見て、ロサンゼルスのある

日本人の家から窓の入れ替えの注文があった。

古い木の窓を流行のアルミサッシの窓に取り替える仕事だった。

 おばあちゃんの家族は、昼間は皆仕事に出ている。

私が仕事をしている間、家にいるのはこのおばあちゃんだけだ。

 

小柄なおばあちゃんである。

やさしい人当たりのいいおばあちゃんと私は

すぐに友達になった。昼時になり、サンドイッチを食べ始めると、

おばあちゃんも私の傍へ食事を運んで来て一緒に食べた。

おばあちゃんの昼ごはんは、毎回茶碗一杯の白いごはんと

漬け物だけだった。

どうして日本のお年よりは漬物が好きなのだろうか。

ひょっとしたら、漬物は長生きの食べ物かもしれない。

工事は、まず、古い窓枠の回りのスタコ(モルタル)を

ハンマーで割って、古い窓枠をはずす。

周りにセメントの欠片や塵がいっぱいに散らばる。

おばあちゃんは近くで私の仕事の成り行きをじっと見ている。

窓枠のスタコ割りが終わり、

私が塵取りと箒を手にした時である。

 

「私にさせて下さい」と、おばあちゃんは私の手から

箒を素早く取り上げてしまった。

不意を突かれて、おばあちゃんの行動に

まかせるほかはなかった。

おばあちゃんは、私の仕事の進行状況を観察し、

自分の出番が来るのを待っていたのである。

おばあちゃんの仕事の、手際のよいこと、早いこと、

舌を巻くほど綺麗に順序良く掃除をしていく。

「このおばあちゃんは若い頃仕事好きあったんやなア」

とつくずく思った。

足の動きも元気がええ、シャッシャッと歩く。

働いている時のこのおばあちゃんの顔がいかにも

楽しいと言っている。

腰の曲がったこのおばあちゃんの歩く姿は

ユリの花ではないが、働く姿はバラの花だった。



 今、私はあの時のおばあちゃんのうれしそうな顔を

思い出しながら、自分の家で仕事をしている。

新米の大工の頃の私は、はたしてどんな顔を

しながら働いていたのだろうか、思い出そうとしている。

私の顔はこのおばあちゃんの顔のように楽しそう

ではなかったと思う。

自分の仕事にお客さんは満足してくれるやろうか。

仕事が遅いと思われないやろうか。

何か文句を言われないやろうか。

そんなことを考えながら仕事をする人の顔が楽しい

顔であるはずがない。

端から見ると、フウフウ言いながら、焦って、

悲壮な顔で仕事をしているように見えただろう。



 あるお客さんが、私の仕事ぶりを見て、言った。

「あんたは命を縮めているような働き方をしている」。

この人の言ったことは当たってないようである。

あれから、33年まだ私は生きている。

人間の寿命は神様が決めるようである。

当時、私はゆとりのない顔で仕事をしていた筈である。

私は外目にはおおらかに見えるが、

ホンマは気の小さい、人の噂を気にする人間である。               

 

今、私は、年金生活になり、仕事から離れて、

嬉しそうに、楽しそうに自分の家の修理をする。

仕事は楽しみながら、口笛を吹くぐらい楽しみながら

やるのが一番だと自分に言い聞かせながら、

やるようにしている。

端で仕事ぶりを見ている人も、つい思わず引きつられて

楽しくなるような顔でしたいと思っている。

でも、パラグアイから来てまもなく、

見よう見まねで覚えた新米大工には、そう簡単に

楽しそうな顔で仕事はできなかった。

生活にゆとりもなかった。

大工仕事も1人前ではなかった。

大工のライセンスもなかった。

そんな新米大工が楽しそうな顔で大工仕事ができるはずはない。
 
 

今の私は膝が悪いので、びっこを引きながら30分働いて

は30分休みで、自分の土地の中を走るドライブ

ウェイの道普請をやっている。

土地が広いので、土地の入り口から玄関まで、

約150メートルある。

アスファルトで舗装されてない地道である。

雨の後には道が傷む。

道普請といえば、昔、故郷喜界島でよく耳にした懐かしい言葉だ。

台風や大雨の後、村の人が大勢集まって、わいわい、

がやがや言いながら、鍬やスコップで道の補修をした。

今は、新米大工の顔でなく、
あの時のおばあちゃんのうれしそうな顔でやっている。                    
 
 私の庭に、毎日、30羽から50羽ほどの野生の

ウズラの集団が何度も来る。

土地の裏の藪がウズラの根城になっている。

おまけに、餌を撒いて餌付けをしているからでもある。

このウズラの餌の食べ方は他の野鳥の倍以上の

速さでせかせかと慌てて地面をつっつく。

餌をつつく速さと同じほどに、目も頭もきょろきょろ

周りを警戒している。落ち着きがない。

離れて見ている私の手先がわずかに動いただけでも、

さっと一斉に音を立てて飛び立つ。

歩くのもゆっくりは歩かない、エリマキトカゲのように、

今にも飛び立ちそうな格好でコチョコチョとせわしく歩く。



 セカセカと落ち着きのないウズラを見ていると、

あの時の楽しそうに仕事をしていた91歳の

おばあちゃんの顔と、そばで何かに脅えて

いるような顔をして働いていた新米大工の

私の顔が思い出される。

飛べるのに飛べない鳥のようである。

ウズラが後ずさりしたのを見たことがない。

ウズラは後ずさりが出来ない鳥かもしれない。

前に進むのみだ。

雄は用心して周りを見回しながら、必ず列の後を歩く。

ウズラの飛び方は格好悪い。

泳ぎの出来ない人間が手足をばたつかせているのと似ている。

それも高くは飛べない。

悠々と羽を広げたまま空高く飛ぶ鷹とえらい違う。

インターネットで調べたら、このウズラ、ふ化後約

40日で卵を産み始め(鶏は約150日)、

その卵の重さが体重の8%(鶏は体重の3%)らしい。

卵の殻にある模様は一羽ごと違い、同じウズラから

産まれた卵は似た模様になるらしい。

 

再婚をしたあるアメリカ人のご婦人からこんなことを聞いた。

「ウズラは一生離婚をしない」。