343-サンフランシスコの夜昼裏表 2 | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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 チンチン電車はビルの谷間を縫ってすぐに海の

見えるフィッシャーマンワーフに着いた。

海岸通に沿って、びっしり建ったじゃなく、


びっしり並んだみやげ物店を世界中からの

見物客がこれまたびっしりと、物色しながら、

ぞろぞろ歩いている。世の中景気がいいのだろう。

同じカニを売る店、同じカニの料理を食べさせる

店が同じ通りに沢山並んでいるが、10年前と違う。

店のオーナーが東洋系、アラブ系の人が

増えてるように思われる。

アメリカの白人は外国系に押され気味のようである。



 増えたのは見物客だけではない。

それを目当てに大道芸人が増えている。

唄って、踊って、似顔絵を描いて、自分の芸で

歩く人からお金をもらう。

ところが、その中で、お金をもらうだけじゃなく、

たまにはものをお客さんに渡している芸人を見つけた。

「これはおもろい」と私は近くのベンチに

腰を下ろして観察することにした。

 顔中、目も、耳も、鼻も、口も、首筋も、

頭にかぶった鳥打帽も、着ている作業服みたいな

雨合羽も、すべて、銀色がかったねずみ色に塗りたくリ、

少し光っている。でも全体の輪郭から黒人とわかる。

黒人はどんな色になっても黒人とわかる。

独特の顔の輪郭だからなのだろう。

両膝を少し曲げて、顔を少し斜めにして、

口を尖らせて、少し口を開けて、右手の先に

飲み物の紙カップを持って、20センチほどの高さの

台の上にじっと静止している。

銅像、銅像と思い込んで、ただ通り過ぎる人も多い。

そんな時、彼は手に持った、紙コップを少しだけ動かす。

それに気づいた人ははっとした表情になる。

「銅像」が「金を入れてくれ」とコップに言わせている。



 お客さんの足の止め方にも色々ある。

「銅像」は口を利かないでお客を止める。

私が若い頃、大阪で叩き売りをしていた時は、

大声を張り上げて、わめいて、おもろいことを

言ってお客さんの足を停めていた。

1ドルをコップに入れて、「銅像」と一緒に

記念写真を撮る子連れの人達が多い。

「銅像」はこれらの子供達に、足元に置いてある

小さな缶の中から、キャンデーをやっている。


この時は「銅像」は動く銅像になる。

これを無愛想な銅像の愛嬌と言うのやろうか。
 


 どうも相場が1ドルのようだ。

貧乏人のフリムン徳さんはベンチに座り込んで

じっくりと観察をしてもらったから、気前よく、

1ドルをやった。

日本のサンフランシスコ観光案内の本に

「1ドルやりましょうね」と書いてあったからでもある。

昔レストランで働き、チップの喜びの経験のある

嫁はんは、レストランへ行くと目いっぱいチップをやる。

嫁はんの影響が少しあるかもしれない。

でもそればかりではない。

チップ社会のアメリカに住んでいることの影響が大きい。

芝居を見に行っても、タクシーに乗ってもチップをやる。

だから大道芸人の芸を見て金を払うのは

当たり前と思うようになった。

 

「銅像の芸を見て立ち止まる人も多いけど、

「銅像の芸」にお金をあげていく人は非常に少ない。

「銅像は」どのように生活しているか気になる。

1時間ほどして彼は店仕舞いをして帰りかける。

私は動き始めた「銅像」に歩み寄り、

「もう帰るのか」と聞いた。「今日は潮の流れが悪い」。

銅像はぽつりと言う。魚釣りのようである。

彼は「人釣り」をしていたのだ。

私が今日昼間に声をかけたのは、

「銅像」がたった一人だった。

たった一人とのたった一言の触れ合いだった。

旅先で触れ合いのチャンスを作るのは難しい。

 

日が暮れた。サンフランシスコ見物をあきらめ、

帰ることにした。グレイハンドバスターミナルへ行った。

そこで私は朝の6時半まで12時間ほどの足止めを

食らう羽目になった。

ただその12時間はホームレスとの「貴重な」

触れ合いの時間となった。見たこともない、

聞いたこともない、開いた口が塞がらんばかりの

サンフランシスコのホームレスの生き様との

触れ合いを経験した。



続く