「見せる、隠す、の気配り」
この頃、台所の流しのシンクの右横の籠の中から
割り箸がなくなる。
洗った鍋、皿、茶碗、包丁、杓子、しゃもじ、ヘラ、箸などを
分けて入れるように大中小と三つに区切られている
プラスティック製の便利な籠である。
ナイフ、フォーク、箸は中サイズの区切りに入れてある。
箸は小豆色の漆塗りの4本の箸と、あと、6本か8本は
割り箸が混ざって入っている。
割り箸は1回だけ使って捨てるには惜しいから、何回も洗って使う。
アメリカの山の中で生活する私達には割り箸は使い捨てではない。
この割り箸を手に入れようと思ったら、車で2時間のサンノゼの町の
日本食料品店まで行かなければならない。
割り箸は塗りの箸よりも私には使いやすい。
モノを挟んでも滑り落ちにくいので割り箸を使う毎日である。
でも、割り箸は使い込むと色が汚れた色になり、
綺麗に洗ってあっても見た目は汚らしい。
この割り箸がこの頃よく姿を消す。朝、姿を消した割り箸は
夜には元の所に戻っている。もちろん犯人は嫁はんだが、
このフリムン徳さんは、その姿を消す理由が初めは理解
できなかったが、判った時には、嫁はんの気配りに「賢い」と
感心する瞬間でもあった。フリムンの私はそこまでは
気が付かなかった。
使い捨ての割り箸をケチって何回も使うと、
こんな苦労もしなければならない。
続く