富士の夕陽スケッチ
(パステル・木炭)
この時期になると、大震災の惨事を思い、心を沈めるために聞いたピアノ曲をまた繰り返し、何度も何度もかけては聴いています。
富士の夕陽パステルスケッチ
ピアノの音とともにお聞きください
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富士山の入り日
パステルスケッチ
Mt.Fuji and Sunset
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Migiwa Tanaka
東日本大震災から13年となり、犠牲となりましたおひとりおひとりのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
13年前の3月11日、自宅のキッチンで、ふと、壁にかかったしゃもじが妙に揺れてるなぁ...と思いました。
すると、徐々に揺さぶる波のような揺れが来て、これはと思い机の下に入りました。
ゆっさゆっさとまるでフェリー、物が落ちることはなく、恐怖よりも生まれて初めての長い揺れを不思議に思いました。
テレビがないので、詳細を知ったのはニ、三日あと。買ってきた新聞には、1面から最後の欄まで、黒文字の見出しと、焼け野原と瓦礫の山の写真がありました。
南相馬市に学生時代の友人がいて、長いこと電話がつながらなく、頭に重石が乗ったようでした。ようやくつながったときには、お互いに電話口で、わんわん泣きました。
当時、ネット上に行方不明者の共有マップがあり、生存と書き込みました。
その後の原発の行方に暗闇のような不気味な恐怖を感じました。
しばらくして、九州へ帰省しました。そこでは輪番停電もなく、どの店も煌々と明るく、地元の方には「こっちへ帰っておいでよ!」と笑顔で声をかけて頂き、世界の違いに本当に驚きました。
数年後、その熊本も大きく揺れました。何度も通った大橋が一晩で崩れ落ち、城が部分倒壊し、阿蘇神社の楼門は全倒壊しました。
家の片付けに行くために乗った飛行機から見下ろした益城は、ブルーシートで埋め尽くされており、それを見て泣きました。
そのまた数年後、感染症が起こり、自粛期間があり、家族が亡くなりました。
そして、今年の元旦の夕方、山中湖村の湖畔道路を走る車の中で、ラジオからは、「一刻も早く高い所へ逃げてください!」と、アナウンサーが必死に訴えていました。大震災の記憶が蘇り、どうか、誰ひとりとして死ぬことがありませんように!涙が止まりませんでした。今なおインフラの復旧が伴わない地域を想うと心が痛みます。
なんていろいろな十数年なのでしょう!
いまこうやって生きていることは、奇跡なのかもしれません。
...
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(水墨で月や水辺を描いていますが、ブログではパステルや水彩で描いたスケッチを紹介しています。)
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