5月26日は、20世紀を代表するアメリカのモダンダンサー、イサドラ・ダンカンが生まれた日。

ダンスを舞踊だけでなく身体表現の形そのものを変革したといわれ、「裸足のイサドラ」と呼ばれた。(1877年5月26日- 1927年9月14日)

 

 

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

 

サンフランシスコに生まれる。父はアイルランド系移民であったジョゼフ・チャールズ・ダンカン、母は、メアリー·イサドラ・グレイ。

父ジョセフは、資産家であったものの、経営していた銀行が破産。イサドラか幼い頃にジョセフとメアリーは離婚し、母と3人の兄姉とともに貧困の中で育つ。

イサドラは、早くから音楽教師であった母親より音楽の基礎教育を受け、古典舞踊を学ぶ。が、その慣習的な動きに満足できず自分自身の創作する自由な舞踊を考え出す。

22歳の時に、イサドラ一家は、火事がもとで、イギリスに渡り、イサドラはパリでデビューする。

古代ギリシャの壷やパルテノンの壁画などから強く影響を受け、衣装もギリシャ風のチュニックを用い、靴を用いず裸足で踊った。

当時はギリシャブームであったこともあり、彼女の新しいダンスは、当時の上流階級に受け、彼女はサロンを中心に活動を始めた。

近代ヨーロッパ、特にフランスでは上流階級や知識人たちが「サロン」と呼ばれる私的な社交場で交流を図るという文化があった。

上流階級や知識人たちと強いコネクションを作り、やがて時の人となっていった。

自身の舞踊を芸術として活動していく。

イサドラが目指したのは、自由な動きと感情を表現する高い芸術性だった。

「真の芸術か否かという問題だけではありません……女性の美と健康の育成、女性にもともと備わっている体力と自然な動きを取り戻すことなのです。完全な母性と、生まれてくる美しく健康な子供たちの問題でもあります……私の学校では生徒たちに私の動きを真似するようにとは教えません、ひとりひとりが自分の動きをするように……未来のダンサー、新時代の新しい女性のからだに宿る自由な精神……限りなく自由なからだに宿る最高の知性!」

イサドラ以前の世界では、舞踊は単なる娯楽だと見なされていた。が、イサドラは、舞踊を芸術にまで高めたダンサーとして、多くの舞踊家に影響を与えた。

注目を浴びたイサドラだが、家庭では不幸に見舞われた。ミシンで有名なシンガー家のアイザックとの間に生まれた2人の子どもを、1913年に事故で亡くしている。

1927年、ニースにいたイサドラは、オープンカーの助手席で首に巻いた長いスカーフが車輪に引っかかり、首の骨を折って命を落とした。享年50歳。

現在、バリのベールラシェーズ墓地に眠っている。

 

 

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