5月25日は、アメリカのオペラ歌手、ビヴァリー・シルズが生まれた日。
1960年代から1970年代にかけて、コロラトゥーラ・ソプラノとして活躍した。引退後はニューヨーク・シティ・オペラのゼネラル・マネージャーに就任し、赤字体質だった同劇場を黒字転換させるなど、持ち前のビジネスセンスを活かして活動した。
(1929年5月25日 - 2007年7月2日)
皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
ビヴァリーは、労働者階級の家庭で育った。出身は、東欧系ユダヤ人。
3歳の時に赤ちゃんコンテストに出場し、歌を歌い、受賞。それをきっかけに、ダンスや声楽を学び始める。
最初は「児童歌手」としてスタートし、映画などにも出演した。オーディションを受け続け、オペラ界の頂点に登りつめた。
メトロポリタン歌劇場での「18分のカーテンコール」は伝説にもなっている。
1956年にオハイオ州の新聞「クリーヴランド・プレイン・ディーラー」紙の社主ピーター・グリーナウ(Peter Greenough)と結婚、2児をもうけるが、一人は聴覚障害、そしてもう一人は精神遅滞があったという。そのため、これらの疾患に対する啓蒙活動を積極的に行った。
歌手としても、それまでに上演されていなかった演目を復活させたりしているし、現役を引退してからも、ニューヨーク・シティ歌劇場のゼネラル・マネージャー、メトロポリタン歌劇場の委員長、リンカーン・センターの会長などを務め、アメリカの音楽界の発展に貢献してきた。
肺がんを患い、2007年7月2日にニューヨークの自宅にて死去。78歳だった。
どんなことがあってもへこたれなかったそう。
彼女の素敵な言葉たちをこちらに。
「行くべき価値があるところに近道などないのよ」
「若い頃は困難の中を駆け抜けていくけれど、年をとると困難の方から私たちの方へ向かってくる」
「失敗すれば、そりゃあ、がっかりするけれど、でも何もしなければ確実に絶望するわ」
彼女の歌声はこちら。とてもパワフルな椿姫。
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