5月4日は、『不思議の国のアリス』(1865年)のモデルになった、アリス・リデルが生まれた日。

1932年、ルイス・キャロルの生誕100年を記念して、アリスにコロンビア大学から名誉文学博士号が贈られている。

(1852年5月4日 - 1934年11月16日)

 

 

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

 

【生い立ち】

イングランド北部のレイヴンスワース男爵トーマス・ヘンリー・リデルを先祖に持つ名家リデル家出身。

父は王室にも出入りしている古典文献学者、ヘンリー・ジョージ・リデル 、母はロリーナ。ロンドン、ウェストミンスターにリデル家の次女として生まれる。

アリスは長女ロリーナ 、三女イーディス の三姉妹として知られているが、このほかに二人の兄と二人の妹、生後すぐに亡くなった一人を含む三人の弟がおり、あわせて9人の兄弟姉妹がいた。

1855年、父ヘンリーがオックスフォード大学の学寮クライスト・チャーチの学寮長に任命され、翌年アリスが3歳のときに一家はこの学寮に移り住んだ。

リデル家の子女たちは少し成長すると両親に混じって食後の音楽会や室内ゲームに参加することが許され、アリスは若い頃からオックスフォードの様々な学者や芸術家と交流する機会を持った。

 

『不思議の国のアリス』

一家がクライストチャーチに移った1855年の4月25日、アリスはこの学寮に籍を置くルイス・キャロルこと数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンと知り合った。

キャロルはこのとき写真道具一式を携えて大聖堂を撮影しようとしていたところで、好奇心の強い姉妹が彼の傍に寄っていったのである。

この日からキャロルと親しくなった姉妹は、それから乳母に付き添われてしばしばキャロルの部屋を訪れ、キャロルにお話を作って聞かせてもらったり、様々な衣装を着て写真を撮ってもらったりして遊ぶようになり、後には連れ立ってボートを使ったピクニックなどもするようになった。

 

『不思議の国のアリス』の物語は1862年、アイシス川(テムズ川)をゴッドストウへさかのぼるピクニックの際に、特にお気に入りの子供であった当時10歳のアリスのために、キャロルが即興で作って聞かせた話が元になっている。

この物語が気に入ったアリスが書き留めておいてくれるようキャロルにせがんだため、キャロルは内容を膨らませながら『地下の国のアリス』というタイトルの手書きの本を作って1864年にアリスにプレゼントした。

知人の勧めでこの物語をさらに加筆修正し、1865年に出版されたものが『不思議の国のアリス』である。

 

アリス自身は、28歳のときに地主の息子レジナルド・ジャーヴィス・ハーグリーヴズ と結婚。3人の息子をもうけ、結婚後も仲良くしていた妹のローダ、息子のキャリルに見守られながら82歳まで生きた。

 

 

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