5月3日は、ルイ16世の実妹、エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランスが生まれた日。(1764年5月3日 - 1794年5月10日)フランス革命の際、兄ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家と運命をともにした。マダム・エリザベート(Madame Elisabeth)と呼ばれていた。

 

 

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

 

【生い立ち】

フランス王太子ルイ・フェルディナンと王太子妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスの末娘として、ヴェルサイユ宮殿で誕生。兄にルイ16世、プロヴァンス伯(のちのルイ18世)、アルトワ伯(のちのシャルル10世)、姉にサルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世の妃となったクロティルドらがいる。

 

1歳で父を、3歳で母を亡くし、孤児となったエリザベートは姉のクロティルドと共に宮廷教育係であるマルサン伯爵夫人に育てられた。この夫人の影響により修道女のごとく多くの時間を祈りに費やす信仰心と慈愛溢れる性格が形成されたといわれている。

エリザベートは特に兄ルイ16世夫妻とは特に親しかった。

 

この当時の王族の結婚は一度嫁ぐと二度と故国に戻れなかったため、全ての縁談を断り、兄達の許に残ることを選択。

王妃マリー・アントワネットは、クロティルドが嫁ぎ、ふさぎこむエリザベートを優しく慰め続けた。自らの離宮であるプチ・トリアノンの一室へ同居を勧め、共通の趣味である乗馬や音楽を楽しんだ。

 

王妃の子供達も第二の母としてエリザベートに懐き、後に共に幽閉生活を送る事になる姪のマリー・テレーズ・シャルロットは非常に叔母を慕い、エリザベートの信仰心の篤さを受け継いだ。

 

「私はいつまでもフランス人でいたいのです。兄の玉座にとどまり続ける方が他の玉座に座ることよりも名誉なことなのです」

信心深いエリザベートは、毎日祈りを欠かさず、王族でありながら領地でとれる食べ物などを領民に分け与えていたという。

「神の恵みは小さな子供たちのものです。全員に配り終えないうちにはとても飲む気にはなれません」

彼女に対する記録には、「まるで天使のようだった」という記述がいくつも見られるという。

 

【フランス革命】

1791年6月、国王一家とともに逃亡を図ったが、ヴァレンヌで捕らえられた。パリへ連れ戻されたエリザベートと国王一家はタンプル塔に幽閉された。

 

1793年1月21日のルイ16世の処刑

王妃は10月16日に処刑された。

 

1794年、エリザベートの処刑は裁判の翌日に行われた。

処刑を免れた人の記録によると、死刑判決がくだり嘆き悲しむ者たちに、苦悶と悲しみしかないこの世よりも喜びに溢れた天国に行くのだと力づけた。

享年30歳。

 

 

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