2月25日は、ギリシャのアンドレアス王子妃、アリス・オブ・バッテンバーグが生まれた日。(1885年2月25日 - 1969年12月5日)故エディンバラ公フィリップ殿下の母。

 

 

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ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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初代ミルフォード=ヘイヴン侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテンとその妻であるヘッセン大公女ヴィクトリアの長女として、ウィンザー城で生まれた。生まれた時、アリス王女は、耳が聞こえなかった。父はドイツのヘッセン大公家の傍系バッテンベルク家の出身。第一次世界大戦によるイギリスの国民感情に鑑みて、より英語的な「マウントバッテン」(Mountbatten)に改姓している。

 

【ギリシャ政変】

ギリシャで1922年に政変が起きると、アンドレオス王子と家族はギリシャから追放された。1919~1922年にギリシャ王国とトルコが戦った戦争で、ギリシャが大敗した責任を軍事法廷で取らされた。

 

【ギリシャからの脱出】

遠縁にあたる英国王ジョージ5世が軍艦を派遣し、王子一家を救出。一行は海路、イタリアへ避難した。が、ギリシャから逃れて間もなく、アリス王女の行動は不安定になり、自分はキリストと結婚した地上唯一の女だと妄想している統合失調症だと、医師に診断され、スイスの療養所に入院。

 

【正義の王女】

アリス王女は、活発で勇敢な女性で、1912~1913年のバルカン戦争の最中にはフローレンス・ナイチンゲールのように最前線の野戦病院で兵士の看護に携わった。それから30年後の第2次世界大戦中には、アテネの自宅にユダヤ人をかくまい、後にイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」としてたたえられている。さらに戦後、ギリシャで修道女となった。

 

【終の棲家】

1967年にギリシャで軍事政権が発足すると、エリザベス女王と息子であるフィリップ殿下に招かれバッキンガム宮殿で生活し、そこが終の棲家となった。

 

 

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