2月17日は、日本の実業家、貿易庁長官であった白洲 次郎が生まれた日。(1902年2月17日 - 1985年11月28日)兵庫県武庫郡精道村(現在の芦屋市)出身。

 

 

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ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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皆さまはもうご存知かと存じますが、おさらいでこちらに。

 

17歳で英国ケンブリッジ大学に留学。ブガッティとベントレーを乗り回しながら過ごした青春時代に、英国流のマナー、紳士道を会得。英国の上流階級と付き合い、また、様々な車を乗り回した。

 

「日本で初めてジーンズをはいた男」といわれ、175センチを越す身長と、ダンディな風貌は、当時の日本人離れした風格を持っていた。信条=プリンシプルを持ち、そこに基づき行動していった。

 

終戦後は、吉田茂首相の側近として活躍し、終戦後、連合国軍(GHQ)最高司令官総司令部と渡り合い、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。

 

【白洲次郎とゴルフ】

「Play Fast」という考え方は、文字通り「速やかにプレイせよ」というゴルフマナー。これを広めたのが白洲次郎でした。

「Play Fast」はゴルフをこよなく愛した白州が最も重要視した原則で、「Play Fast!」と書いたTシャツを着てコースを回り、この精神をPRしたそう。

 

14歳の頃からゴルフを嗜(たしな)んでいたという筋金入りのゴルフ好きで、晩年理事長になった軽井沢ゴルフ倶楽部では、芝の手入れや従業員の待遇だけでなく、富裕層が多い会員に対しても断固たる態度で臨んだ。

 

マナー違反のゴルファーを見つけると、それが時の総理大臣でも容赦なく叱りつけたというエピソードも。

 

 

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