1月22日は、オーストリア、ハプスブルクの大皇女、ブラジル皇帝ペドロ1世の皇后、マリア・レオポルディナ・デ・アウストリアが生まれた日。

 

 

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先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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オーストリア皇帝フランツ1世の四女であり、ナポレオンに嫁いだマリー・ルイーズの妹にあたる。
「ポルドル」の愛称で呼ばれていた。

(1797年1月22日 -1826年12月11日)

 

幼い頃からレオポルディナは旺盛な好奇心を示し、専門分野は植物学、蝶類の研究および鉱物であった。また、彼女は描画のレッスンを受け、彼女のまとまった描画はオーストリア国立図書館に収蔵されているそう。さらに、フランス語、イタリア語とラテン語、ポルトガル語も完全にマスターした才媛であった。

 

 

【ポルトガルに尽くした生涯】

ポルトガルの王太子であり、ブラジルの王となるペドロと結婚が決まり、ブラジルへ渡る。結婚後、故郷を離れたブラジルで彼女は摂政妃として、才能を如何なく発揮していく。

 

1822年9月、ブラジルは、レオポルディナの懇願によって、ポルトガルからの独立を宣言した。

 

レオポルディナはオーストリアの自然科学者と画家をブラジルに招き、合同探検を行わせた。彼女の名前にちなんで命名されたヤシ目ヤシ科の下の属名の一つ w:Leopoldinia Mart.がある。また、畜牛の研究なども熱心に行った。現在のブラジルの畜産業の礎を築いたとされる。

 

問題は、夫ペドロが公妾を持ったことだった。口論が絶えなくなり、レオポルディナか妊娠中にも関わらず、夫からお腹を蹴られたことをきっかけに死産。彼女もそれが原因で命を落とした。ポルトガルから独立した翌年。齢29歳だった。

 

が、ブラジルで女性君主として生前から国民の支持を集め、現在も国民の巡礼地において聖女として崇められ、「国家の母」「独立の祖」「国民の守護天使」とされている。

 

夫と共に今は、サンパウロ市の独立記念公園の中にある独立モニュメント(Monumento à Independência)の地下室に眠っている。

 

 

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