1月17日は、フランスのシンガーソングライターのフランソワーズ・アルディが生まれた日。(1944年1月17日 - )今も尚、フランスを代表する女性シンガー、そして今も変わらず、シックでアンニュイな佇まいを漂わせている永遠の”フレンチ・ポップ・アイコン”

 

 

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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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アルディが好んだ、身体にフィットするセーターとミニスカートというシンプルなスタイルは"イエイエ族"と呼ばれたフランス流モッズルックの象徴だった。

 

16歳で母親にギターを買ってもらったのを機に音楽を始め、62年、自作の「男の子女の子」でデビュー。
ヒット曲「さよならを教えて」の歌詞を書いたセルジュ・ゲンスブールや、ゲンスブールの元妻ジェーン・バーキンとの仕事が多い。歌手で俳優のジャック・デュトロンが長年のパートナー。

 

日本では、1979年、TBSのテレビドラマ『沿線地図』で、Ma jeunesse fout l'camp(原題「私の青春は逃げて行く」、邦題「もう森へなんか行かない」1967年)、「私の騎士 Si mi caballero」(1971年)が使用され、ドラマの中で繰り返し流されたことから話題を呼び、当時CBSソニーから発売されたシングル盤、ベスト盤「もう森へなんか行かない」がヒット。

 

また、荒井由実(現:松任谷由美)のアルバム『MISSLIM』に収録されている「私のフランソワーズ」という曲は、フランソワーズ・アルディのことを歌ったもの。思春期のユーミンにとって、アルディは、フランスの香りだったそう。

 

さらには、荒井由美が石川ひとみに書いた「まちぶせ」は、この「さよならを教えて」の翻案(ほんあん)とも言われいる。

2018年のアルバム発表以来口を閉ざしていたが、2019年咽頭癌であることを公表。

 

歌わなくても、曲を書かなくても、フランソワーズは私にとっても永遠のミューズ。

羨ましいほど美しく歳を重ねてる。

 

 

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