6月27日は、アメリカの全盲活動家、ヘレン・ケラーことヘレン・アダムズ・ケラーが生まれた日。(1880年6月27日 - 1968年6月1日)
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グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
該当する偉人がいない場合はお休みです。
長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
アラバマ州タスカンビア生まれ。
父母ともに、裕福な南部の名家の出身であった。
ヘレンには異母兄が二人、妹が一人いた。
生後19か月時に高熱に伴う髄膜炎に罹患。
その結果、視力と聴力を失った。
7歳の時に初めての教師で生涯にわたる師となる
アン・サリヴァンと出会う。
アンはヘレンに言葉や読み書きを教えた。
盲学校と聾学校、そして普通学校で教育を受けた後、
ヘレンはハーバード大学のラドクリフ・カレッジに通い、
バチェラー・オブ・アーツの学位を得た初めての盲ろう者となった。
ヘレンは1924年から1968年までアメリカ合衆国各地で講演を行い、
世界中の35か国へ旅して視覚障害者を支持した。
アンが亡くなった翌1937年には、
日本語の点字を考案した盲目の社会実業家・岩橋武夫(ライトハウス館長)からの来日要請を受け、初来日。
横浜港の待合室でヘレンは財布を盗まれている。
が、しかし、この事件が報道されると、
日本全国から見舞金が寄せられ、4カ月後にヘレンが日本を離れる頃には盗難された金額の10倍以上が集まったそう。
ヘレンの1903年の自伝『わたしの生涯』により、
彼女の受けた教育とアンとの人生が公となった。
自伝はウィリアム・ギブスンによって舞台劇『奇跡の人』に翻案され、
さらに同題名の映画『奇跡の人The Miracle Worker』にもなった。
英語の「The Miracle Worker」は「(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人」といった意味でありアンのことを指すが、
日本ではヘレンのことと誤解され、「奇跡の人」がヘレンの代名詞として用いられることも多い。
アンがヘレンの初訪日直前に病没し、
日本でアンを知る人がごく一部しかいなかったことが誤解の原因とされている。
私が好きな彼女の言葉をご紹介しますね。
”孤独な魂に出会うと、自由と知性のあふれる世界にかならず導いてあげる、それが愛。”
