平和がありがたい。
8月15日を迎えて、思うこと
少しショッキングな内容になるかもしれませんが、ご容赦ください。
戦争は、してはいけない、当たり前だと思っていたが、
まさかこの2022年に領土を拡げるために、武力侵略をする国があろうとは、思いもしなかった。
それを見て虎視眈々と行方を学習している大国もある、ひとりの権力者が攻めろと言えば、誰も止められない事がわかった。
必要とあらば核兵器を使うぞと言う権力者
それを見て日本国内でも、抑止力として核を配備する必要があると言う風潮がちらちら煽られはじめた。使う前提の人間には、たとえこちらが核を持っても強い抑止力にはならないことになる。
パワーバランスだ、相手が持つからこちらも持つ。
この言葉と風潮が、引き返せない破滅に進んでいることに気づいているのだろうか。
こんな事は、エスカレートするけれど、ブレーキはない。
そのような空気感、風潮はコントロールで作られることもこの度わかっただろう。戦争をはじめた側の国民のインタビュー(これも作られているだろうが)を聞いても侵略された国を悪い国だから懲らしめていると真顔で言う、側で見れば騙されてる人と見えてもその人は、思い込んでいる、もしくはそう演技している。
思慮を深めていないと、その空気感に持っていかれる。
その先起こるのが兵器殺戮戦争だ、普段ならば、人を殺すなんてするはずがない、出来ることではないと思うだろうが、理性が吹っ飛ひ、嫌でも行うしか無くなるのが戦争だ。
戦争は起こしてはいけない、始まっても国民では止められない、しかし死ぬのは国民、どちらの国もだ。
まったく知らない者同士が殺し合いをする、馬鹿げていることをさせられる。
一言で書くとなんだか軽い
人の命は、そんなに軽くはない
書けば書くほど軽く感じる。
お盆の直前に、重いものが出てきた、胃甲家的にだが、母親が神妙な面持ちで、箱を出してきた、開けてみたら、古い封書などが入っていたと
それは、僕のおじいさん兄弟の戦死の一報だった。
戦争で亡くなった人がいることは知っていたが、
衝撃だった、血縁者の戦死の現実をこの紙が訴えてきた、先の日本の戦争で亡くなった身内、その一報を受け取った親の気持ちは、はかり知れない悲しみのどん底に突き落とされたであろうと思うと、涙が出る。
息子の生きた証が、この紙なのだ。
行かせたくもない戦争に、紙一枚で呼び出され、紙一枚で亡くなった報告を受ける。
これが戦争の現実なんだ。
殺されるために産んだのではない
息子の名前が書かれた紙、いいようのない深い悲しみ、怒り、だがそれを受け入れなければならない社会背景、批判出来ない圧力、なんて酷いことか
怨みつらみのあるものではなく、知らない者同士が殺し合わされる
国民は、人だ。
日本を、戦争が出来る方向に向かって行かないよう、
今日の終戦の日を受け止めてみませんか
子供の名前が入った紙が届かぬ社会を望む
用意されたものの空欄に名前と日付をいれてある
どれだけの人が亡くなったのか
これが、名誉の戦死を遂げたとされる人への扱いなんだろうか。
勲章なんかは、いらない。
生かして返してくれ、これが親の気持ちだろう
人類は、英知を集結させて戦争のない世界を作ろう