小学校中学年に入って学校が嫌なところになってしまった私、、
いじめまでは行かないけど、同級生に変なあだ名つけられたり、容姿をバカにされたり、
ついでに矯正で口内が常に痛かったり、、
学校を休むと言う選択肢があるなんて思ってもないので毎日行きました。
休みたいと、言うだけ言ってみても母は休ませてくれなかったので、、
ストレスだったんだろうと思います、、
始まりは人差し指の爪を使って親指の爪の横の部分をギリギリする、爪を剥がすようにしてました。
気づけばそれをいつもしていて、血が出るまでする事も多々ありました。
これは大人になった今でも辞めれません、、
これは母も未だに知らないと思います。
それから口内が痛くて気にしてたらいつの間にか音声チックが始まりました。
咳払いみたいな時もあるし、「んっっんんっ」
て永遠にしてた時もあり、その時その時で変わります。
今でも、ストレスがたまったり、疲れていると瞬きが止まらなくなります、、
子供の時の影響は凄く大きいんだなと今になって実感してます。
この音声チックがなかなかくせ者で、本人の私はそんな事しているのに気がついてないので、「うるさい」って姉によく怒られ姉妹喧嘩になったのを思い出します。
母は姉の事はよく心配するけど、あまり私の事は心配しないと言うか、、
愚痴を言っても、「気にするな」で終わりでモヤモヤが収まりませんでした。
もちろん大事には育てて貰いましたし、色々してくれた母でした。
そんな日々の繰り返しで、ある日学校の授業で、自分の生まれたときの話を親に聞いて書き、写真を1枚提出する宿題がでました。
もちろん親に聞いて書いて最後に赤ちゃんのときの写真が欲しいと言うと、
母に「ないよ」って言われました。
私は、ないとかあるの?アルバムいっぱいあるじゃん!と思ってアルバムを見返すと、、
姉と弟の赤ちゃんの時の写真はたくさんあるのに本当に私のだけありませんでした。
何故ないのか聞くと母は「おまえがショックをうけると思って撮らなかった」
と言われ、複雑な気持ちになりました。
確かに今でも、見たくないような見たいような、微妙なところです。
当時の私が見ていたらこんなの嫌ー!て泣いてるかもですね
だって上の唇が裂けてるんですもん、
なんと表現したらいいのか、、
鼻の下のじんちゅうの所から裂けていて何も無いと思って頂けたら。
しょうがないので、2.3歳頃の写真を持って行って先生には無かったと言いましたが、
先生に「無かったか?あると思うけどなぁ、、まぁいいよ」みたいに言われ、本当に無かったのに、、てムカついたのを良く覚えてます。
この頃は唯一仲良くしてくれた友達が居たから毎日学校に行けたんだと思います。