「1と9の謎?」第19話
(マッカーサーを驚愕させた会談とは?)
館 長】 「そして天皇は20年9月27日
あのマッカーサーに会いに行くんじゃよ。
※(この画像に賛否色々有ることは、
ここでは問題ではありません。)
今までの戦争に負けた元首はすべて
命乞いに来るのが常識じゃったから
マッカーサーは天皇も当然、命乞いに来ると
思っていたそうじゃ。そこで
天皇はマッカーサーにこういったんじゃ」
『私は、日本の戦争遂行(すいこう)に
伴(とも)ういかなることにも、
また事件にも責任をとります。
また私は、日本の名においてなされた
すべての軍事指導者、軍人および
政治家の行為に対しても責任を負います。
自分自身の運命について貴下(きか)(あなた)の
判断がいかようのものであろうとも、
それは自分には問題ではない、
私は全責任を負います。』と・・・
「マッカーサーは骨の髄(ずい)まで
感動したんじゃよ。明らかに天皇に
帰(き)すべきではない戦争責任をも引き受け、
国民のために自分の命をも捨てようとする
この勇気に満ちた態度、この圧倒的な人徳(じんとく)に
信じられないかもしれんが、マッカーサーは
完全に心酔(しんすい)してしまうんじゃよ。
そして天皇は、太平洋戦争で、原爆で
亡くなった30万人の人の思いを受け止めて、
自分の名のもとに喜んで国のために死んでいった
若者たちの思いをただ一人受け止めて・・・
武器を捨てて戦争を2度としない、
そして全世界に永遠の平和を実現する。
という世界に例がない崇高(すうこう)なる誓いである
9条を、命をかけて入れたんじゃ。
マッカーサーは現実には50年早いと
思っていたんじゃが、天皇のその9条に対する
本気の迫力に腰を抜かすほど驚いたと言ってるんじゃ。
天皇のその思いがあまり表に出ると良くないと考え、
時の幣原(しではら)首相(しゅしょう)と
マッカーサーはそれこそ電光(でんこう)石火(せっか)の
ごとく新憲法をつくっていくんじゃよ。
あまりの早業(はやわざ)にマッカーサーの
押し付けと言われるんじゃが・・・。
マッカーサーは昭和25年(1950)1月1日の
年頭の辞でこう語っているんじゃ。」
次回~☆
「1と9の謎?」第20話
(マッカーサーのS25年年頭の辞とは?)
原案・監修:河内 正臣(こうちまさおみ)
著者 :レポーター G