「1と9の謎?」第10話


「天皇の姿を見た瞬間 ? 」


                                                         けんたろう】 国民の反応はどうだったの?」


館 長】 「それはもう大変な歓迎じゃった。


  国民も感激してみんな勇気づけられて


 戦後(せんご)復興(ふっこう)の大きなきっかけになったんじゃよ


れいこ】 「天皇の名のもとに家族を失った人もいて、


 恨んでいる人とか反対する人はいなかったの?」


館 長】「それが共産党の人らは反対しようと


 待っていた人もいたそうじゃが天皇の姿を見た


 瞬間、一緒に感激して万歳(ばんざい)したそうじゃよ


 敗戦したイタリアのムッソリーニ―


 国民に処刑され、ドイツのヒットラーは自殺している。

 実は、歴史上、敗戦した国で国民が受け入れ、


 生き残った国の責任者は、世界で昭和天皇以外、


 誰もいないと言っても過言は無い、


 奇跡中の奇跡的なことなんじゃ。


 後に天皇と国民の仲睦まじい戦後復興の姿を見て、


 東京裁判の裁判長を司ったオーストラリアの


 ウエップ元裁判長は新聞記者の


 『天皇をどう思いますか?』という質問に


 『ありゃ神だよ、出なけりゃ生き残っているはずがないだろ!』


 って言っているんじゃよ。」


けんたろう】 「凄い!」


館 長】 「昭和22年12月7日には


 原爆の傷もまだ癒(い)えない広島にも来たんじゃよ。」


れいこ】 「え~広島の人はあれだけの被害を受け


 本当に悲しい思いをした人が多いし、


さすがに天皇もつらい思いをしたんじゃない?」


館 長】 「そう思うじゃろ。それが違ったんじゃ。


 広島市民20万人がでむかえ、5万人が陛下のお姿を


 一目見ようと市民広場は人の波で埋まったんじゃ。


いっきゅう会のブログ


 広島はあの日の苦しみを忘れたかのように


 歓喜の嵐で市民は感激、興奮が渦まいたそうじゃよ。


 そこで天皇はこういう歌を詠んでおられる。」


『ああ広島 平和の鐘もなりはじめ 


 たちなおりてみえて うれしかりけり』


けんたろう】 「広島市民の生活の事を


 ほんとに心配してくれてたんだね・・・


 もともと国民は、みんな天皇が好きだったんだ。」


館 長】 「50年はペンペン草も生えないと言われた広島


 奇跡的復興のドラマはここから始まったんじゃ。


 やはりみんな本心では天皇が大好きなんじゃよ。


 国民の幸せのためにずっと祈ってくださっているお方だからのう」


れいこ】 「祈ってるって具体的には、どういうふうに?」


館 長】 「皇居(こうきょ)には祈る場所があって

 天皇の重要な仕事なんじゃよ。


館 長】 そして昭和21年2月から昭和29年8月まで


 8年半にわたって全国46都道府県、


 411カ所、総行程(そうこうてい)3万3千キロの


 全国ご巡幸(じゅんこう)の旅をやりおえたんじゃが


 それも祈りの一つと言ってよい。」

けんたろう】 「祈りだけじゃなく、その行動力はどこから来るんだろうね」


館 長】「それが天皇としての戦争の責任を


 果たそうという一心だったんじゃよ。

 自分では言わないが、


 命がけの終戦のご聖断


 全国ご巡幸によって


 天皇は立派に責任を果たしているのじゃ


けんたろう】「あっそういうことか!」

れいこ】 「なんか私が思っていた天皇のイメージとは


 ずいぶん変わってきちゃったわ・・・」


・・・そこへひろしがやってくる。


次回~☆


「世界一古い皇室って必要なの ?」