ども、右脳活性サポーター 一休です。
いつも感謝しています。
12月です!!
11月もあっという間に過ぎました。
一年、あっと言う間!
人生も、あっと言う間!!
今月も 元氣 で参りましょう!!
毎月1日は・・・
「自分の思い、生き方」を伝えることにしています。
◆はじめに・・・
私には誕生日が2回あります。
一回目はこの世に生まれた日。
昭和51年6月28日。
そして
二回目は命を救われた日。
平成14年2月6日。
私は2回も生まれる事ができた「幸運」の持ち主です。
人にはこの世で成し遂げなければならない使命があります…
あなたは自分の命を何に使いますか?
私の人生の目的は、
「多くの人に感動を与える事」です。
(目的は 一生涯 変わりません。)
私の現時点の人生の目標は、
「圧倒的な表現力を身に付け、
人の心を動かせる表現者になること」です。
(目標は 成長とともに 変化します。)
◆突然の事故で高次脳機能障害に
大学を卒業後、新入社員でテーマパーク内のショップ経営を任された私は、日々勉強の毎日。
大変だけれど、やりがいがあり、とても充実した毎日を送っていました。
そんな日常が一転したのは、平成14年2月6日のことでした。
その日はとても寒い夜でした。
20時半ごろ仕事を終えた私は、バイクで帰宅途中、黄信号で停車しようとした瞬間、
後ろを走っていた大型トラックに激突されたようです。
「…ようです」というのも、
実は、その時の記憶は、私には全くありません。
救急車でICUに運ばれ、両親が駆けつけた時は意識不明。
ICUに運ばれた私は、脳挫傷で意識がない状態が続くという重体でした。
今になって思えば、
体中防寒をしていたことが衝撃のクッションになり、命が助かったのかもしれません。
目を開いたまま右上を見続けていた私を診察した当時の医者は
脳に障害が残る事を両親に伝えたと言います。
それからしばらく意識がない状態が続きました。
徐々に意識は回復したようですが、
その時の入院生活は、ほとんど何も覚えていません。
事故で頭に強い衝撃を受けたことで、私は「びまん性軸索損傷」という状態になり、
退院後は多くの障害が残りました。
◆25歳の小学校3年生が誕生
視野狭窄。半側空間無視。平行機能障害。高次脳機能障害等。
それにより、記憶障害や、集中力・判断力の低下などの認知障害、失語症、
「攻撃性や感情がコントロールできない人格変化」が現れました。
特に「怒り」に関しては収集がつかず、頻繁に精神科に運ばれていました。
言われた事をすぐに忘れるため、小さなメモとペンは常に持ち歩き、なんでもメモをする日々。
家を出るが家を出た理由がわからず、また家に戻る事などしょっちゅうありました。
知能指数が小学校3年生レベルと判定され、
25歳にして親の世話になるという新たな生活が始まったのです。
◆リハビリをしながら親との二人三脚
暴言を吐いたり、物を投げつけたりして、家族を不安に陥れる毎日。
その時の記憶も定かではないのですが、
時折母が泣いていたのは、記憶の片隅に今もうっすら残っています。
退院後、しばらくは休職し、精神科を受診して安定剤をもらい、
薬剤で「感情」をコントロールしていました。
運動機能の障害は小さかったので、職場復帰をしたのですが、
集中力が続かずイライラしたり、聞いたことをすぐに忘れたりして仕事になりません。
「怒りの感情」をコントロールできずにパソコンを壁に投げつけたこともありました。
そんな状態だったので、社会生活に適応することが出来ず、
復帰した職場もすぐに退職する事となります。
退職後は、病院に通うことが主な仕事で、あとは自宅でボーっとするしかありません。
病院での受診時に状態を告げると、
「とりあえず薬を増やしておくから。」との返答。
すかさず薬を処方されるだけの医師の姿勢に対しては正直憤りを感じたものです。
「自分では抑えきれない感情が溢れてくる苦しみを誰かに解って欲しい。」という欲求が沸々と心の中に押し込まれ、ますます苦しくなる毎日でした。
◆役者との出会い
このようにリハビリの毎日を送っていた私にとって
楽しみなのは○○さんのラジオを聴くことでした。
ある時ラジオで、○○さんが座長を務める劇団の劇団員募集のお知らせを聴きました。
「○○さんに会える」というだけの理由で応募して、やる気だけをアピールした結果、
劇団員になることを許されました。
ただ何となく応募したとはいうものの、今になって振り返ると、自分の居場所が欲しかったからなのかもしれません。
居場所を見つけた私は、同じ志の仲間と共に演劇のトレーニングを始めました。
しかし、感情のコントロールができない私にとって、
「はい、怒って!」
「そこで泣いて!」という演技は、
当時の私には不可能です。
普通に笑う事もできないのですから。
「なんで俺は感情が湧いて来ないのだろう・・・」
形だけの喜怒哀楽をしている自分に腹が立ち、毎日悩んでいました。
◆脳に奇跡が!!
ところが、この役者の稽古を続けていくうちに、
自分の脳に奇跡が起こりました!
自分の感情を解き放つ訓練をすると、
どんどん私の精神状態は安定していきました。
また過去の記憶を呼び起こすトレーニング、想像力とイメージを追求する等、
演劇の勉強には「右脳」を鍛えるものが多く、
それがリハビリになったのか、徐々に客観的に自分を見られるようになり、
次第に感情をコントロールできるようになりました。
◆右脳との出会い
また、このころ、本格的に「右脳」に興味を持ち始めます。
・楽しい音楽を聞く。
・速読をする。
・舞台を自分で演出してみる。
・未来の自分をリアルにイメージする。
・いろんな絵を書いてみる。
・ 五感をフルに活用してみる。
・ アロマで嗅覚を刺激する。
・ 丹田を意識し、深い呼吸をする。
「右脳」を意識し続けると、
感情がコントロールできるようになるだけでなく、
今の自分に◎を付けられるようになり、リラックスできる体になっていくのです。
私は、本来の人間のあるべき姿を取り戻した気がしました。
◆ミッション
【役者道】を歩き始めてはや10年。
感情のコントロールができなくなり、突然「切れて」壁を壊し続けた20代から、
感情を作り出さねばならない【役者道】を磨いていくうちに、
穏やかな自分を作り出し、いろんな雑音にも動じなくなる40代へと
私は進化しました。
「これは右脳を活性化させる【感情のリハビリ】をこつこつとしてきたからではないか?」
そう確信しています。
さらに……
「役者のトレーニングを含めた右脳の活性化は、
左脳ばかり使っている現代の社会人に必要なことではないか?」
そう考えるようになりました。
多くの人が「右脳」を使って、五感をフルに活用できる社会になれば、
日本はもっともっと「リラックスの波動」で包まれ、
魅力的な人達で溢れるのではないでしょうか。
そのために、私に与えられたミッションの1つが、
「右脳」の可能性が無限大である事を多くの人に伝え、
多くの人に【役者脳】になってもらう事なのです。
なぜなら
高次脳機能障害の私自身が
【役者脳】のトレーニングをすることで、
「右脳」が活性化し、
本来の人間のあるべき姿を取り戻しつつあるからです。
そして、
怒りが抑えられない等の【感情のコントロール】に困っている方、
私と同じように高次脳機能障害になりリハビリで苦しまれている方に、
少しでもサポートができたらと思っています。
◆最後に
私はおかげさまで
交通事故を経験して、“生きる”というものを深く考える機会をいただきました。
何人たりとも、人は生まれてきたことに理由があります。
私は
自分の人生の目的が「多くの人に感動を与える事」だと気付きました。
「感動」とは、「感じて動くこと」だと考えています。
自分に自信を持てない人が多くなった現代社会において、
私が伝えることで、それを観た人が何かを感じて、行動して、
生きがいを見つけるきっかけになれたら最高です。
「なるほど!」
「わかった!」
そんな感動を与えることが、私が生まれた意味だと考え、
これからも挑戦し続けます。
『役者脳を作れば、あなたはもっと魅力的になる!!』
※お気軽にメッセージ下さい!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
感謝
一休
今日の言葉
「あなたの人生の目的は何ですか?」

