ども、右脳活性サポーター 一休です。
いつも感謝しています。
あなたは
ツイッターやfacebookはやっていますか?
多くの方が利用しているソーシャルネットワーク(SNS)は、
現代人にとっては、無くてならないものになりつつあります。
Facebook、LINE、Twitter、Instagramなど
多くのソーシャルネットワークが存在し
幅広い年代の人が利用しています。
そこで生まれた文化が
「シェア」です。
自撮りした写真や
美味しそうなランチ
おもしろ・ネタなど
様々な写真や記事を投稿し
多くの人が共感すれば
「シェア」されて拡散していきます。
このようなSNSに多く人が関心を寄せるのは
「共感」
を求めているからです。
ずばり
人間は「共感」を求める生き物なのです。
《 自分をすべてわかってくれる人は存在しない 》
「自分のことをわかってほしい」
「自分の価値観を認めて欲しい」
「自分の存在を見て欲しい」
そんな自分をわかってくれる存在を
皆求めているのです。
しかし・・・
果たして
自分のことを100%わかってくれる人は見つかるのでしょうか?
ずばり、仏教では
「自分をすべてわかってくれる人は存在しない」と教えています。
それは一体どうしてなのか??
仏教では、
「業界(ごうかい)」
という言葉があります。
そして、
『一人一人が各自の「業界」の中に生きているのだ』
と仏教では教えられています。
「業」とは
インドの言葉で「カルマ」といい
「自分の行為」のことです。
一人一人
今まで見てきたもの
聞いてきたもの
話してきたこと
そして何より
考えてきたことは・・
すべて違います。
それら「業(行為)」が各人各別なので
同じものを見ても
同じには映らないのです。
こんな小噺があります。
飛騨の高山に住んでいる男と、
伊豆の大島からやってきた男が、
江戸の宿屋で同宿した。
やがて二人の口げんかが始まった。
その口論の争点は、
「太陽はどこから昇ってどこへ沈むのか」
ということだった。
飛騨の高山から来た男は
「太陽は山から上って山へ沈むものだ」
と主張する。
伊豆の大島から来た男は
「太陽は海から登って海へ沈むのだ」
と主張する。
この両者は一歩も譲らない状況だった。
「山から昇る太陽を、ワシはこの目で見てきたんだ。
うちの父ちゃんも見てきたし、うちのじいちゃんも見てきたんだ。」
と高山の男が言えば、
伊豆の大島の男は、
「うそつくな!オレは海から昇る太陽をこの目ではっきり見たんだ。
毎日この目で確認してきたんだ。」
どちらも、証拠を主張した。
宿屋の主人が「何事か?」と、
二階にあがって
ことのいきさつを聞いてみると・・・
宿屋の主人大笑い。
「あんたら、ばかですなぁ何にも知らんのですね。
あのね、太陽というのはね・・・
屋根から上って屋根に沈むんだよ。」
と言ったという。
これがオチなんですが
なかなか考え深い話でもあります。
それぞれの見てきたもの
学んできたこと
常識や環境が違うと
同じものでも
全く違って見えてしまいます。
もしこの話に現代人が登場して
「本当は、太陽のまわりを地球が回っているんだよ。」
てなことを言い出したらどうでしょう?
この3人の男にばか者よばわりされるでしょう。
「話し合えば分かり合えるはず!」
という人がありますが
判るんなら戦争も裁判も必要とせず
よく話し合って済んでしまいます。
各々の人の環境、経験は異なるのですから
それぞれの業界も異なります。
「「別々の世界に生きている元同士が
お互いのことを100%理解することはできないのだ」と
仏教で教えられています。
そして
そのことを前提にすればこそ
「相手に理解してもらおう
相手を理解してあげよう」
という努力が生まれるのです。
プライベートでも、ビジネスにおいても
「お互いには100%分かり合えることはできない」
という前提に立って
コミュニケーションを取ることが大切なのです。
感謝
一休
今日の言葉


いつも感謝しています。
あなたは
ツイッターやfacebookはやっていますか?
多くの方が利用しているソーシャルネットワーク(SNS)は、
現代人にとっては、無くてならないものになりつつあります。
Facebook、LINE、Twitter、Instagramなど
多くのソーシャルネットワークが存在し
幅広い年代の人が利用しています。
そこで生まれた文化が
「シェア」です。
自撮りした写真や
美味しそうなランチ
おもしろ・ネタなど
様々な写真や記事を投稿し
多くの人が共感すれば
「シェア」されて拡散していきます。
このようなSNSに多く人が関心を寄せるのは
「共感」
を求めているからです。
ずばり
人間は「共感」を求める生き物なのです。
《 自分をすべてわかってくれる人は存在しない 》
「自分のことをわかってほしい」
「自分の価値観を認めて欲しい」
「自分の存在を見て欲しい」
そんな自分をわかってくれる存在を
皆求めているのです。
しかし・・・
果たして
自分のことを100%わかってくれる人は見つかるのでしょうか?
ずばり、仏教では
「自分をすべてわかってくれる人は存在しない」と教えています。
それは一体どうしてなのか??
仏教では、
「業界(ごうかい)」
という言葉があります。
そして、
『一人一人が各自の「業界」の中に生きているのだ』
と仏教では教えられています。
「業」とは
インドの言葉で「カルマ」といい
「自分の行為」のことです。
一人一人
今まで見てきたもの
聞いてきたもの
話してきたこと
そして何より
考えてきたことは・・
すべて違います。
それら「業(行為)」が各人各別なので
同じものを見ても
同じには映らないのです。
こんな小噺があります。
飛騨の高山に住んでいる男と、
伊豆の大島からやってきた男が、
江戸の宿屋で同宿した。
やがて二人の口げんかが始まった。
その口論の争点は、
「太陽はどこから昇ってどこへ沈むのか」
ということだった。
飛騨の高山から来た男は
「太陽は山から上って山へ沈むものだ」
と主張する。
伊豆の大島から来た男は
「太陽は海から登って海へ沈むのだ」
と主張する。
この両者は一歩も譲らない状況だった。
「山から昇る太陽を、ワシはこの目で見てきたんだ。
うちの父ちゃんも見てきたし、うちのじいちゃんも見てきたんだ。」
と高山の男が言えば、
伊豆の大島の男は、
「うそつくな!オレは海から昇る太陽をこの目ではっきり見たんだ。
毎日この目で確認してきたんだ。」
どちらも、証拠を主張した。
宿屋の主人が「何事か?」と、
二階にあがって
ことのいきさつを聞いてみると・・・
宿屋の主人大笑い。
「あんたら、ばかですなぁ何にも知らんのですね。
あのね、太陽というのはね・・・
屋根から上って屋根に沈むんだよ。」
と言ったという。
これがオチなんですが
なかなか考え深い話でもあります。
それぞれの見てきたもの
学んできたこと
常識や環境が違うと
同じものでも
全く違って見えてしまいます。
もしこの話に現代人が登場して
「本当は、太陽のまわりを地球が回っているんだよ。」
てなことを言い出したらどうでしょう?
この3人の男にばか者よばわりされるでしょう。
「話し合えば分かり合えるはず!」
という人がありますが
判るんなら戦争も裁判も必要とせず
よく話し合って済んでしまいます。
各々の人の環境、経験は異なるのですから
それぞれの業界も異なります。
「「別々の世界に生きている元同士が
お互いのことを100%理解することはできないのだ」と
仏教で教えられています。
そして
そのことを前提にすればこそ
「相手に理解してもらおう
相手を理解してあげよう」
という努力が生まれるのです。
プライベートでも、ビジネスにおいても
「お互いには100%分かり合えることはできない」
という前提に立って
コミュニケーションを取ることが大切なのです。
感謝
一休
今日の言葉

